その1 妖精事件







■太乙■


外苑の銀杏並木は、音もなく降りつもる葉に一面が染まっていた。

落葉の鮮やかな黄色が晩秋の弱い陽ざしにさえ眩しく輝いて、その明るさに目がくらみそうになる。
半ば葉を落とした背の高い銀杏の枝の間から見える灰色の空の裾野をぼんやりと眺めながら、太乙はその乱反射する黄金色の中に立っていた。

片手には、書店の紙袋。
ようやく手に入れた、発注してから2ヵ月もかかって届いた本のささやかな重みが手に心地いい。

平日の午後は人通りもまばらで、もう長いことすれ違う人もなかった。
きらきらと輝く落葉の地面や、時折思い出したように落ちてくる黄色の葉を飽きもせず見ているうちに、時間は随分と経っていたと思う。


かしゅかしゅと、小さな足音が聞こえた。

落葉の多いところを選んで、乾いた葉の感触を楽しむように近づいてくる足音。
顔を上げると、小さな子供が歩いていた。
少し不器用に、積もった枯葉に足首まで埋まりながら、夢中になって黄色が一番鮮やかに輝く木漏れ日の当たる場所を踏んでいる。
ゆっくりと、葉を踏む音にも耳を傾けながら歩いてくる。

太乙の視線に気づいたのか、ふと見あげてきたその子供と、目が合った。
少しの間、視線を交わしたが子供は無心に見つめてくるだけで表情ひとつ変えなかった。
何気なく微笑んでみせて、太乙はまた空に視界を移した。

晴れた淡い青を眺めているうちに少し眠くなって、小さく欠伸をする。

足音は止んでいて、子供はまだ先ほどの場所に立ち止まったまま太乙の方を向いていた。
それ以上近づいてくるでもなく、遠ざかる風もなく。
太乙はその子供に、挨拶代わりにそっと微笑んで歩き出した。
(うちに帰ったら、今日はゆっくりお茶でも飲みながらこの本を読もう)
そんなことを考えながら、地下鉄の階段を下りる。


降車駅のあたりで、ふと先刻の子供のことを思い出した。

印象的な目をしていたな、と思う。
もう会うこともないのだろうけれど、ほんのひとときの出会いが随分と楽しかった。

銀杏の鮮やかな黄色と共に、しばらくあの子のことは忘れないだろうと思いながら駅到着を知らせるアナウンスが響く車内をなんとはなしに見回して、太乙は一瞬、かなりぎょっとした。

すぐ側に、その子供が立っている。

驚愕を隠せない太乙の目を少しのあいだ無心で見あげて、ふいと視線をそらす。
停車の為に地下鉄が揺れると、まるであたり前のように太乙のコートを小さな手できゅっと握って身体を支えた。





名前は「フゲン」というらしい。

それ以外のことはなにひとつ解らなかった。
駅長室で迷子の届を出し、警察に連絡をして、その間に何か手がかりを掴もうと大人が数人がかりで持ち物を調べたり質問を変えてみたりと様々に試みてはみたが、一向に埒があかなかった。


しばらくこの子を預かろうと決意した太乙が、駅員や警官と話しを終えて、手続き書類を書きあげて、ようやく「フゲン」の手を引いて外に出た時には、もうすっかり日が暮れていた。
「……おなかが空いてないかい?」
太乙が尋ねると、「フゲン」は少し考える風にじっとして、それからこくりと頷いた。
「じゃあ、すぐにできそうなものを作ろうか」
どちらかと言うと自分に言い聞かせるようにそうつぶやいて、太乙は「フゲン」の手をそっと握りなおした。


いつもなら何分もかからない僅かな道のりを「フゲン」の歩調でゆっくり歩いて、いつものスーパーマーケットで野菜を少しと牛乳を買う。レジを通る頃にはもう眠くなったのか、「フゲン」は小さな欠伸をしていた。







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