春の手紙


前回の passage に続き、オマケ文付きお出迎えイラストです。
◆遠い音楽◆のイメージイラスト第2弾。
オハナシは、普賢篇「歩きたくなる径」より。

BGM(っていうかテーマ)は大貫妙子 "春の手紙" 
姫神にとっては、太乙な曲でス。




■春の手紙■



咲き初めたばかりの桃の花が、まだ冷たく冴える冬の名残の朝風に揺れている。

露が落ちて黒く湿った土には、もう春の草花がそこかしこに芽吹いて、昇ったばかりの日の光を弾いては鮮やかに、淡い緑色に輝きはじめていた。
さくさくと、踏みしめるたびに生命を吹きかえす地面を歩くのはとても快くて、普賢は少し雲のある空を眺めながら、風が運んでくる春の匂いに胸を躍らせている。それでも心の隅がかすかに寂しく痛むのは、ここに呂望がいないせいだろう――――ほんの数日、離れているだけなのに。


「…このあたりのがいいかな?」
「……ほんとにいいの?」
「ああ、構わないさ」
にっこりと笑うと、太乙は桃の枝に鋏を入れはじめた。
細く、天に向かってすらりと伸びた枝をそっと切りとっては普賢に手渡す。両腕一杯に、やさしく花開いた桃の枝を抱えて、普賢は少し申し訳なさそうな微笑とともにありがとう、とつぶやく。

「……大事に飾っておくね」
「そうしてくれると嬉しいな」

どれも三分咲きほどの淡い色の花に顔を埋めて、普賢は目を閉じた。 穏やかな、甘くあたたかい春の匂いがする。

無心な様子で佇む普賢に声をかけるのもためらわれて、太乙は黙って普賢をみつめていた。
なんて幸せそうに微笑むのだろう――――そんなことを考えながら。

「……望ちゃん?」
顔をあげた普賢が、ふいに目を丸くする。
太乙が振り返ると、少し離れた桃の樹の下で、呂望がなかば呆然と立ちつくしている。
「…呂望?」
今日、呂望がここに来ることは知っていたから、太乙も普賢もそのことについては別段驚きもしなかった。意外に早い到着に、呂望が余程この日を待ちかねていたことが知れて、それが太乙には微笑ましくてならなかったけれども。

言葉もなく、困惑の色も隠せずにいる呂望に、普賢はそっと首を傾げる。
「…どうしたの?」
澄んだ空気には小さな囁き声も驚くほどよくとおり、透明なさざ波のように風に溶けてゆく。
おおかた普賢の佇まいに見惚れてでもいたのだろう。普賢の声に我にかえって急に頬を赤らめる呂望がおかしくて、太乙は忍び笑いを堪えきれなかった。そんな太乙を他所に、普賢は駆け寄ってきた呂望にもう一度にっこりと笑うと、抱えた桃の花のなかにそっと顔を埋めた。
「……会いたかったよ」
「…うん」
花の色にまぎれて、普賢の表情は太乙にははっきりとは見て取れなかったけれど、小さな声で挨拶を交わしながら、ふたりはきっと同じように頬を染めて、おだやかに微笑んでいるのだろう。

黙って立ち去ろうとする太乙を、普賢が呼びとめる。
「……気が済んだらラボにおいで。先に戻って、お茶を淹れておくから」
「…い、一緒に戻ります…」
少し慌てた、呂望の返事に普賢も頷く。
しっかりとつながれたふたりの手は見ない振りをして、
「じゃ、戻ろうか」
ゆっくりとした足取りで歩き始める。

あたたまりはじめた地面には淡い陽炎が立ち、ゆるやかな歩調にかすかに揺れる。
遠く、空に浮かぶ崑崙に向かって、あたたかな風が昇ってゆく。
「…望ちゃん、お腹すいてない?」
「……うむ…」
「…しょうがないなぁ…朝ご飯食べてから来たって、普賢は逃げないのに」
先を歩きながらくすくすと笑う太乙を、呂望は真っ赤になりながら返す言葉もなくて恨めしそうに見据えている。普賢がそっと握った手に力を入れると、困ったような照れ笑いを浮かべて、それから普賢の小さな手を握り返してきた。


伝わってくる確かなぬくもりはやさしくて、何故かふいに涙がこみ上げてきそうになる。











■モドル。■