◆今月のコトバ◆
寒山拾得(kanzan-jittoku):寒山拾得といえば、水墨画の題材です。なにやらカワイラシイ老人だか子供だかの2人1組の絵。寒山が文殊菩薩の化身で、拾得が普賢菩薩の化身だそうです。見分け方は、拾得サンはほうき持ってます。ところで、この寒山拾得という言葉を、ちくま新書の「使える四字熟語」という本で発見。…四字熟語なのか?(汗)ただ人名がふたつ並んでいるだけでも四字熟語なのか?(汗)…とツッコミたい気持ちがいっぱいなのでした。

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9/28
(thu.)
ようやく手に入れたエディット・ピアフのCDを聴きながら、ぼんやりとお茶するのが最近の楽しみでス。ようやく季節も涼しくなって、お茶も食べ物も温かいのが嬉しくなってきました。
シャンソンは昔から好きだったけれど、本当にいいな、と思えるようになった・・・というか、「ああ、こういう良さもあったのか」と気づいたのはつい最近。年齢を重ねてはじめて解ってくることもあるようです。

ところで毎日ハイテンションな復活日記(ナンダソレ)を続けている姫神ですが、実生活のほうではかなり忙しいことになっていまス。私としては全力で普賢復活を祝いたくて仕方ないのに、現実はそれを許してはくれません・・・まあ、たいしたことではないのですが。
さてワタクシ、どうも200話を読んでいると古い思い出が甦ってきて、ヒヨコが5万匹ほど余計にウェーブ状態になるので困っています。普賢たちの復活が、どうにもとある姫神のラヴキャラの復活シーンと重なってしまうので…。
そちらの方は、主人公にとっては父親かなにかのようなもの(そうか?)だったのですが、夫婦でそろって復活してきてくれたので、当時まだ若かったワタクシは、ココロの中で10万匹のヒヨコが大ウェーブ・・・というかもヒヨコに喩えて解ってくれる方は何人もいなと思うのですが(汗)。
それにしても普賢。カワイイです普賢。

今日の太公望×普賢:「計画の途中、どうしても障害になる者は…」
燃燈上人、(WJ43号)

「Σ普賢(や十二仙)が計画の障害だって言うの?!」
・・・と怒り心頭に達する前に。ふと思い出したのは、ずっと前に女将が言ってた「やっぱり望ちゃんの精神的成長のためには、どうしても必要なステップだったのかしら・・・普賢が死ぬことって」というハナシ。私もそんな気がするのでス。悲しいことですが、普賢の封神という事件は、望ちゃんを確かに大きく成長させました。乗り越えるのにとてつもなく長い時間と、もしかしたら乗り越えきれていないのかな、という危うさをいつも感じさせながらも、普賢を失ったあとの太公望を見ていると、なんだかそんな気がしてしまうのです。(「遠い音楽」風味の感想)。それほどまでに、太公望にとって普賢という存在はとてつもなく大きかったってコトですよね。(うまく説明できないなぁ(汗)・・・。)
それに、もし普賢たちが生きていたら・・・太公望が伏羲になる、というシチュエーションはナチュラルに回避されてしまっていたとも思うのです。そういう意味では確かに彼らは障害ではあったのかもしれない。結果オーライのご都合主義展開ではありますが、後付けで理由を考えると、そんな結論にも至れたりしまス。勿論、作者の意図するところは全然別で、十二仙封神は単なる事故、燃燈サンの科白の「障害」は単に敵対した仙道を指すだけだ、というコトも充分考えられるのですが。
9/27
(wed.)
少し冷静になって、ジャンプをじっくり読み返すこと数十回。
心の中では一万匹のヒヨコが大ウェーブを繰り広げていて冷静どころの騒ぎではないのですが、そこはそれ、年の功ではやる心を押さえつつ、ちょっとした疑問について、ひとり問答いってみましょう。
というワケで、本日もこの日記はジャンプ封神の感想でス。

◆アレ(伏羲)=太公望でいいの?
実は以外と多くの方が割り切れないままでいるらしい、伏羲=太公望。だって、ほかの人格が混ざってる・・・というよりは太公望の魂魄が王天君に間借りしているワケじゃないですか。私も正直言って割り切れていません。いくら魂魄が量的に王天君のほうが薄かったり少なかったりしてもゼロではないのですから。疑問に思うな、という方が無理な話です。
しかし。
普賢が「望ちゃん」と呼んでいるのです。
普賢が、アレを望ちゃんだと認識しているのです。
普賢が、伏羲という個体に対して「望ちゃん」と呼びかけたのか、伏羲の一部としての太公望に「望ちゃん」と呼びかけたのか、それについては私もまだ考えているトコロですが、とにかく、普賢は「望ちゃん」に声をかけ、「望ちゃん」に微笑んだのです。だから、この際、アレ=太公望なのかどうかの割りきれなさはこっちへ置いといて、普賢は望ちゃんと、再会を果たしたのです。いまはそれだけでいいと思ってます。

◆普賢、まえより華奢になってない?
普賢再登場のシルエットの細さといったら。見帰り笑顔の肩の小さいこと。多少太公望の好みによるフィルタもかかっているのではないかと思う姫神です。だって、望ちゃんって、ゴージャスセクシー系は全然眼中になくて、線の細い、はっきり言ってトリガラバディが理想みたいですからねぇ。

◆普賢、強くなった?
聞仲の禁鞭を防ぎきれなかった太極符印。それがやすやすとジョカの攻撃を防いでいるのがちょっと不思議、というオハナシ。姫神的には、別に強くなったわけでもなんでもなくて、単に攻撃の種類に拠っているだけなのではないかと思ったのですが。あらゆる物理法則を無視する聞仲の攻撃には効かなかった太極符印ですが、ジョカの攻撃はある程度物理法則に則っていたので制御可能だったのではないか、と。
それともうひとつ。
姫神、太極符印は普賢のチカラだけでなく、ある程度太公望の力量を反映している面があるのではないかと睨んでいます。だから、太公望が強くなった分、以前よりパワーアップしているのだと思っています。
或いは、肉体のない魂魄体の方がチカラを発揮しやすい、とか、更には普賢が封神台で修行していたとか、そういうのもアリかもしれませんが。これはそのうち本誌ではっきりすることのような気がします。

今日の太公望×普賢:「・・・普賢・・・・・・」 太公望、(WJ43号)
252頁のこの科白が出てくる時には、普賢が実在だと確信していたのでしょうが、太公望、おそらくは一瞬はあのシルエットを幻だと思ったハズ。辛いことや困ったことやタイヘンなことがあった時にはいつも思い出していたから。
望ちゃんの危機にさっそうと現れる普賢、まるで仙界対戦の時の逆ですね。姫神には、普賢が「あの時の借りを返したかったんだ」と言っているように見えたりもしました(笑)。よくできた夫婦でス。まったく。
9/26
(tue.)
今日も今日で相変わらずダメなままの姫神ですが、朝からオオボケをかましておりました。姫神、毎朝インターネットのニュース速報やテレビのニュース番組や新聞でひととおり世の中チェックをするのが日課なのですが、ふと気づくと一生懸命捜しているのです。「普賢復活」の記事を(汗)。
「しっかりしろ、アレは国民的ニュースにはならん」と激しく自分にツッコんではみたものの、無意識の行動と言うのはオソロシイですね。
自分の行動に軽い眩暈を覚えました。

しかしながら時を合わせたかのように、テレビ東京の仙界伝再放送では、本日が普賢初登場の日でありました。アニメは別物とは思いつつも、あまりの絶妙なタイミングに、これは世の中が普賢フィーバー(なんだそれは)状態であるに違いないと確信するに至ってしまった次第です(そんなワケないだろう・・・。)
9/25
(mon.)
オメデトウ普賢・復活!!!

というワケで、他の日の日記など書いている暇はありません。今日の日記を書かずしてなんのための太普サイト!ということで大フィーバーしております。(パフパフドンドン)<もはや錯乱の域。

さあ。気持ちを落ちつけて。
普賢・・・・・・・・・(涙)←早速錯乱。
普賢ですよ、ついに帰ってきたんですよ。望ちゃんのところに。あああ(落ちつけ)。本日のワタクシは、朝から不愉快なことの連続で、呪われたように話の通じないバカ中年の失礼な態度にウンザリもし、あげくにケンカを売られるという実にすさんだ1日を過ごしていたのですが、夜、大王の携えてきたジャンプをいそいそと(別に期待はしていなかったのですが)開いて見ると!!!
…今日のこの日の為に、このサイトはあったようなものです。

ええもう、ストーリーが「ちょっと待て」の連続で、「ちょっとアンタ」とツッコミドコロ満載でも、王天君はどうなったの一体とか、そういうあらゆる不安要素をすべて払いのける「あきらめないで 望ちゃん!!!」の力強い天からの声!!「おう!あきらめないぜ!」と力強く答えるワタクシ(違)。

さて。これから普賢復活祭(ナニソレ)です。しばらくうちのサイトはそういう浮かれたサイトになります。とりあえず、今回のジャンプ封神の感想書いたり、妄想ラクガキ遊びをしたり、忙しくなりそうです。<もともと忙しいだろう、自分(汗)。

忘れないうちに少し書いておきます。ジャンプ随一の純愛カップル太公望×普賢。みつめあうコマがそれはもう眩しくて涙が出ました。(ああいうのを「少女マンガ」と言うのだ。)あの獣じみた太公望の目が一瞬で正気に戻る、普賢という存在。愛、っていうのはこういうものなんだと、ガラにもなく思ってしまう再会でした。・・・ので、心の片方ではかなりふざけた喜び方をしつつ、もう片方ではずいぶんしんみりとまじめに、そして静かにシアワセだったのです。
そして、裏な発想などオソロシイほど、というか微塵も沸いてこないのです…これから何ヶ月か経ってコミックスででも読む頃にはもう少しそれっぽいヨコシマなコトも頭をよぎるのでしょうが、なんだか今は、ただただそのふたりの愛のあまりの強さと清らかさと、それから優しさに圧倒されるのでした。(マジで素面でこんなことが書けてしまうあたりがさすが太普。)
こんなに愛に溢れたカップルって、ワタクシは他に知りません。

このように、現在支離滅裂な状態なので、祝杯あげつつも「大丈夫か自分」と、ひとりツッコミが欠かせません。落ちつくまで1週間ほどかかりそうですが、来週また太公望と普賢のラブラブツーショットが目白押しなワケで(決めるな)、そうなったらまた正気を失うんでしょうね。まあいいですけど。<っていうか楽しみで楽しみで…(笑)。←いまからオカシイ。
実を言えば、伏羲=太公望、というその他の面々の認識にはちょっとばかり思うところがあったというのが本音というか実情なのですが、同じように思う方と「普賢が「望ちゃん」と呼ぶなら仕方あるまい」と、先週末にチャットでオハナシしたばかりだったのです。だから正直言って純粋に驚いてもいるのですが、普賢が望ちゃんと呼ぶからには、ヤツは間違いなく望ちゃんなのでしょう。というか、疑ってゴメン、望ちゃん。普賢を見るあの目は、望ちゃんだけのものだものね。

なんだかこの日記、久々のヲタク風味です(笑)。

今日の太公望×普賢:「あきらめないで 望ちゃん!!!」 
普賢、(WJ43号)

どこまでもどこまでもこの一言に尽きる今週の太普。でも実は、ナタクを追いかける趙公明にも心奪われていたワタクシ。やっぱカッコイイわ、あのヒトは(笑)。<ヒトじゃないけど。そして、「オバケ(オバケっていう言い方がもう、またカワイイですね(涙)普賢…。)じゃないよ、魂魄さ」なんて科白もそっちのけで仲間を「亡霊」呼ばわりのでっちゅ。カッコイイですね。さすが十二仙の貫禄でス。そして、それで、封神台に一緒にいたはずの、金タクと木タクはっ?木タクはどこっっ?!!<錯乱(小)。
9/20
(wed.)
日記同盟に加入。日記書きに励むようにと主催者に言われるが、励めと言われても。←やる気足りなさすぎ。

クラゲが、使い捨てカイロがどこにも売っていないと嘆いていた。(嘆いていたワケではないかもしけないが。)やはり田舎では季節商品のままなのだろうか。確かに需要は冬ほどではないが、あれは夏にも必要なものだ。例えば、冷え性のヒトが冷房効きまくりのオフィスで長時間シゴトをする時に、アレがないととても困る。だから大阪でシゴトをしていた時は、年中オフィス街のどこかしらで使い捨てカイロを売っているのを見かけたのだが、やはり今時期はないトコロの方が多いらしい。
そろそろ栗の季節なので、季節限定の栗菓子を楽しみにしている。すやの栗きんとん、今年は食べられるだろうか。
今週末はお彼岸なので、母の指導のもと、おはぎを作る予定。母曰く「買った方が早いのに」…いや、母のおはぎが大好物のヒト(大王)がここにいるので。つくってあげないとね。
9/12
(tue.)
うち(翡翠園離宮とalcyon's garden)は、基本的に字サイト…というか小説(あるいは小説モドキ)がメインのヲタクサイトのつもりなんだが、最近、どうやら周辺ではそうは思われていないらしい、ということに気づきつつある。自業自得なんだろうけれども、ちょっとセツナイ。
体調がダルダルとすぐれないので、眠っていることが多い。よく夢を見る。最近の夢は、封神の夢だったり、海の夢だったり、魔法使いの夢だったりとバラエティ豊かなのだがいずれも非現実的だ。現実逃避しているのだろうか。

サイト管理人どうして集まって話をすると、たいていサイト閲覧者とのトラブルの話題になることが多い。どこのサイトも閲覧者とのトラブルを抱えているものだが、目立って多いのは、HTML形式メールに関する問題だろうか。OutlookExpressを使ってメールを書いている、「HTMLってナニかしら?」とか思っている人は、うかつに知らない人にメールを出さない方がいい。マナーラボでも書いているけれど、気づかないままリッチテキスト形式(HTML形式)でメールしている可能性が高い。それから、いわゆる半角カタカナも使ってはいけない。詳しい説明は省くが、アレもタイヘン迷惑なものなのだ。
最近は、初心者に懇切丁寧にメールの出し方を教授してくれる同人系マナーサイトも多く、「ずいぶん優しくて丁寧だなぁ」と感心するのだが(ちなみにうちはそれほど親切ではないですね。)、初心者にいきなり手取り足取りというのもどうかなぁ、というのが正直な感想だ。いずれにせよ、マナーが普及するのはとても喜ばしいことなので、手段はヨシとするべきなのだろうが。
9/10
(sun.)
四字熟語って生活に必要ないものなんだろうか。自分の会話を振り返ると、結構頻繁にコトワザだの四字熟語だのが顔を出しているようなのだが、これが全部使用禁止になるとしたら、ちょっとツライぞ。
どこぞのテレビ番組で若者が「四字熟語とかコトワザなんて日常生活に必要ない」とか言っていたが、確かに、ただ生きていく上では知らなくてもなんとかなるだろう。どんな言語であれ、サバイバルボキャブラリというのはそれほど多くはない。にも関わらず、どの言語にも豊富なボキャブラリが用意されているのは、「ただ生きている」以上の状態を表現する言語が人間には必要だからだ。ボキャブラリというのは服とかアクセサリーのようなものだとも言える。生きていく上でどうしても身に纏わなくてもいいものは僅かな種類しかないが、訪れる場所や、会う相手や、その場の雰囲気などで使い分ける必要があるという点で。そしてその組み合わせのセンスが文章力や表現力なのだろう。

今日の本棚:「漢語の知識」 一海知義著、岩波ジュニア新書
ジュニア新書だからと言ってバカにしてはいけません。Yahooで検索したら、とある大学の図書館のオススメ本になっていました。もともとは小・中学生向きの本ではあるのですが。(え?チガウの?)
似たような本は他にもあると思うんですが、これが一番面白いと思います。ちくま新書の「使える四字熟語」はオススメしません。なんかヘンです。この本。





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