◆今月のコトバ◆
秋韻(shu-in):まだ夏ですが。秋の気配や、秋の音のことを「秋韻」といいます。それにしても「秋の響き」とか「秋の音」とかなんのことやら、と子供の頃は思ったものです。秋の音…虫の声とか、風の音が乾いて冷めてくることとか、耳に聞こえる音ではないけれど、空が高くなっていくカンジとか、そういうことを指すのでしょう。はやく涼しくならないかなぁ、と気持ちをこめてこの言葉を選びました。

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28th
(mon.)
意を決して今日からフランス語の復習を始めるのです。
来年の秋にはベルギーに比較的長期滞在をすることに決めたので、英語だけでは心許ないからなのですが、1年の復習でどこまで取り戻せるやら。外国語はふだん使う機会がないだけに、使わないとみるみるうちにチカラを失います。予備校などで講師が生徒に「1日サボったら取り戻すのに1週間かかる」といいますが本当です。ミナサンがんばりましょう。(ナニ)
その割に父なんかが、もう30年以上前に2年か3年ばかりしか勉強していないドイツ語をきっちりと使いこなせるところなんかはオソロシイとしか言いようがないのですが(シゴトで使っているワケでなし)、昔はなんかもっとキビシクもスバラシイ勉強法でもあったのでしょうかねぇ…ってあるわけないんでしょうけれども。

ベルギーでフランス語が通じる、というのは誤りではありませんが、「ベルギー人はフランス語を話す」というのは少し語弊があります。ベルギーでは、フランス語に非常に近いワロン語を使いますが、発音や表記、数の数え方などでフランス語とは異なる部分があります。(フランス語のワロニー方言、と理解する向きもあります。)また、オランダ語に属するフラマン語も使用されていて、どちらかというとこのフラマン語使用者の人口の方が多いので、実際はオランダ語を勉強していった方がいいのでしょうが、そこまで手が回りません。語学はニガテなのです。(でも挨拶ぐらいは覚えよう。)

何かの番組で、中学・高校時代に通っていた喫茶店(紅茶専門店)が紹介されていた。何年たっても変わらないお店の内装と、お姉さんの美貌に思わず拍手。ハジメテの紅茶専門店でハジメテ飲んだのはジャクソンのアールグレイ。思えばあれが紅茶道楽の出発点だったのだけれども、砂糖もミルクも入れないで飲む紅茶は正直言ってあまり美味しくなく、ベルガモットの香りもそれほど好きではなくて、いまにして思えばあの店に通っていたのは連れて行ってくれる先輩が好きだったのと、お店のお姉さんと話すのが好きだったからだろう。

今日の洋菓子:「バクラバ」 ヌシアス(ギリシア・イオアニナ)
まさか店主もこんなところで自分の店のお菓子が紹介されているとは思うまい。ギリシア北西部イピロス地方のイオアニナ市の片隅にあるケーキ屋サン、ヌシアスのバクラバ。美味しかったんでス。突然ものすごく食べたくなったのでスが、おいそれと行ける場所でもなく、やや呆然とするワタクシ。この極甘菓子を好きだというとギリシア菓子を知る大抵の日本人から冷たい目で見られるのでスが、甘いものは徹底的に甘くなくてはならないといのは正しいお菓子のあり方だと思える一品なのでス。
27th
(sun.)
今日はオフ会でした。姫神が主催者でした。
にもカカワラズ、姫神、集合場所にたどりつく直前に体調を崩し、急遽弟子&ヘボ屋の女将に代理を頼む羽目になりました。参加者のミナサマには大変ご迷惑をお掛けし、ココロより反省しております(汗)。こんなトコロにこんなことを書くのもなんなのですが、本当に申し訳ありませんでした。
そして女将&弟子のアキラ君、本当にどうもアリガトウ(涙)。このお礼はいつか必ズ……。

久しぶりの東京・銀座。滞在時間僅か2時間でも、やっぱり好きな街にいるのはとても楽しい。ダロワイヨでお惣菜も買えたし。銀座三越にある、中国茶の喫茶店で懐かしの「泡沫紅茶」をいただく。台湾名物のタピオカゼリー入りミルクティーなのだ、が……向こうのものとはかなり様子のチガウものだった。コレはコレで美味しかったのだけれど、向こうではもっとチープな飲み物だったから……(汗)。思ったよりもはるかに上品すぎる味にしばし呆然。
ちなみに、タピオカゼリーは「珍珠」と呼ばれているので、台湾の屋台とかチェーン店でタピオカゼリー入りの飲み物を注文する時は、「珍珠〜茶」でス。「泡沫紅茶」では本当はタダのミルクティー。さらに、台湾でいただくなら、「〔女乃〕茶」がオススメ。どうやらココナッツミルクティーのようでした。(チガウかもしれないけど…)他のお茶でも頼めば「珍珠」を入れてもらえまス。
そういえば、一部でウワサのタネになっている中国茶「仙桃」は、ここにもありまス。こちらではジャスミンティー。桃の味やニオイのするお茶ではありませんので念のため。
中国茶器の中に、桃の実をモチーフにしたものが時々あるのですが、アレはカワイイですね。太普フィルタを抜きにしても欲しくなりまス。
25th
(fri.)
ネットの世界(には限らないのだけれども…)では、「一体このヒトはコミュニケーションというものを何だと思っているんだろう?」と思うことが多い。勿論、コミュニケーションが不得手なヒトが多いのは良く知っているし、なにより原因がその訓練不足であることも充分承知しているつもりでも、オドロキを禁じえない場合が多々ある。
コミュニケーションの基本はキャッチボールのようなものだ、という言い方で例えるなら、ボールのコントロールが外れて遠くの方へ行ってしまったり、ボールが当たって痛い思いをしたり、というのは理解の範疇なのだが、自分がいる方向と反対方向にボールを投げられて、「向こうに誰かいるのかな?」と思っていると「どうして取りに行かないの?」と言われてしまったり、もっとひどい場合には、そのヒトが持ったままでいるボールを「なぜ取りに来ない」と怒られたりすることがあるのだ。こうなると、キャッチボールの概念から教えなければならないのだろうか。たまに途方に暮れることがある。

新しいコンテンツ…というか子サイトを作りながら、なんだか手広くなりすぎてきた自分のネット領域に不安を覚え始める。(ちなみに新しい子サイトはビビサイト。←FF9のね。)頭とファイルといまあるコンテンツの整理をちゃんとやっておかないと後で激しく後悔しそう。

今日の本棚:「民族と国家」 山内昌之著、岩波新書
たまには自分の専門分野の本を紹介しまス。「民族」というものについて、その評価はともかくとして、世界にどのような「民族」が存在し、どこでどういった状況で居るか、ということを知っておくことは悪いコトではありません。そこに神経質になりすぎるとそれはそれで問題になる場合もありまスが、それでも全く知らないでいるよりはマシでしょう。よく、「海外旅行に行くときは、その国の予備知識などない方が面白い」などという話も聞きますが、真に受けては行けない場合も多いでス。姫神的には最低限、その国での禁忌はある程度知っておくべきだと思いまス。禁忌は宗教だけにあるものではありませんし、民族の歴史や文化に強く根付いている分、「外国人には解らないよね」と意識できにくい場合が多いのでス。
24th
(thu.)
「プリンひとくち」

最近、続けざまに見ている夢は、このコトバがキーになっているらしい。何か重要なコトバらしく、夢の中では「そうか、起きたらアレをこうする為に…で、“プリンひとくち”なんだな」となにやら納得しているのだけれど、当然のことながら、目が覚めるとさっぱりである。何が「プリンひとくち」なんだ自分。そんなに食いたいのか、プリンが。(そんなことはないよなあ…)

クラゲと話をしていて、ハリー・ポッター(新刊は9月発売だそうですね。思ったより早かった。)の話になった。まあ、ちょっとした児童文学評論(?)である。話題そのものについてはさておき、クラゲと話ながら思い出していたのは、児童文学における、食べ物の描写のこと。過去にイギリス児童文学にどれほど騙されたかしれない…(涙)。なんと言ってもいちばんやられたのは「メアリー・ポピンズ」だ。メアリー・ポピンズに出てくる甘モノ類の描写は、群を抜いて美味しそうだ、コドモゴコロに思っていた。私にとって、とても具体的に憧れをもってそのお菓子を想像できたのがメアリー・ポピンズの世界だったのだ。
だから、イギリスへの憧れにも並々ならぬものがあった。いつかイギリスに行くことがあったら、この物語に出てくるお菓子を片っ端から食べてみよう、と夢を描いていたのだ。今にして思えば無邪気なものである。自ら出かけるまでもなく、イギリス土産をもらう機会はあった。けれども、そうして口にしたお菓子はどれも美味しいとは言えず、そこで「イギリスのお菓子ってひょっとして不味い?」と思えば良かったものの、既にイギリス贔屓に骨の髄まで染まったコドモ(自分)は「本当のイギリスのお菓子はもっと美味しいハズ」とか、よくワカラナイ納得の仕方をしていたのだ。
最終的に、イギリスに行ったり、イギリス人の友人に教わったりして得た結論は、「美味しいモノも不味いモノもあるが、美味しいモノでも想像していたほど美味しいモノではない」…どんなモノを想像していたんだ、自分。
頭の中で作り上げた素晴らしく美味しいイギリスのお菓子は、現実をはるかに凌いでいたようだ。今となってはあのコドモ(自分)がどんなものを想像していたのか具体的には思い出せないのだけれど、イギリスの某百貨店の食料品店で買ったジンジャーマンには脳天をつき抜けるような衝撃を覚えたことだけは覚えている。(それほど不味かった…ってコトです。)
そういえばここの日記、思い出バナシが多いなあ。

今日の洋菓子:「マカロン」 ダロワイヨ(東京・銀座)
特別、ダロワイヨのマカロンが一番!…というワケではないのでスが。とりあえず日本国内で売っているマカロンの中では、ダロワイヨがかなり得点高いんではないでしょうか。あ、大阪ではアルションのが一番好きでス。(ただ、アルションは種類が少ないのが難点。)
「マカロンってなんですのん?」とか聞かれると、具体的描写が少々難しいのですが、万人が万人、「美味しい!」って思えるお菓子ではないのかもしれません。ちなみに甘口のシャンパンと一緒、が一番好きです、私は。パリで食べたバラの匂いがするマカロンがなんといっても最高でした。いま地図が手元にないのでなんとも言えないのですが、確か買ったのはラデュレとかいうお店だったのではないかと思いまス。うーん…違うかも。
22nd
(tue.)
思い込みというのは厄介だなぁ、と時々思う。そして、存在することに対する思い込みより、存在しないことに対する思い込みの方が手に負えない場合が多いような気がする。そうやって気づかないでいることが暴力になることもある。そんなことを考えさせられる日だった。
21st
(mon.)
なんだかとても久しぶりに電話で長話をした。かれこれ4ヶ月ほど音信不通になっていたクラゲからの電話。元気そうでなにより…って、そんなに元気じゃないこともちゃんと解ったので大丈夫(何が)。
久しぶりにクラゲと話していると、言葉を選ばなくていい会話の楽さがしみじみと身に染みてきて、それはちょっとした感動だった。「辞書」が近い、というカンジなのだろうか。こういう風に会話できる相手は、やはり少ないのでクラゲの存在は私の中では貴重なのだ。(別に惚れたワケではないよ。)
「辞書」というのは私の勝手な言い方で、それぞれの人が知っていたり、思い込んでいたり、そういう意味だと思っていたりするコトバの蓄積のことを指す。ちゃんとした国語辞典などと違い、言葉に対してオリジナルの解釈がこっそり混ざっていることが多いのが特徴。(国語辞典だって偏見のかたまりだけどね。)
言葉の意味やニュアンスというのは、使う人毎に微妙に(あるいは大幅に)違っていて、その違いに気づくか気づかないかが感情のすれ違いを避ける決め手になるような気がするのだけれど如何だろうか。特にネットコミュニケーションはコトバだけの世界なので、ニュアンスの違いにきちんと気づいていないと、とりかえしのつかない感情の縺れだって生じかねないと思っているのだが。
というワケで、ネット友達との会話は神経が張詰めたままでいることが多い。張詰めさせたところでストレスを感じるほど若くもないのだけれど、コトバを直に脳に入れるのではなくワンクッション(辞書検索)を置くことになるので、調子の悪いときはやや苦痛になる場合がある。いや…苦痛ということもないな。反応が鈍くなるだけだ。
従って、つきあいが長くなるにつれ、私にはその相手ごとのコトバ辞書が蓄積されてくる。相手によって相手の辞書に載っている言葉の意味で意思疎通するのが誤解を避ける最良の方法だと経験的に思ったので。
クラゲの辞書は独特で、私もすべての語を網羅しているワケではない。どちらかというとクラゲの辞書は本人にもよく解らないような、なんだかニュアンスだけでできあがっているような曖昧な辞書である。それでもクラゲのコトバを脳に直接入れてしまっても差し支えなく、抵抗もないのは、たぶんどこかで何かの波長が合っているのだろう。だからと言って念波は届かないけどね。
そして私がなんの遠慮もなく、自分辞書でクラゲに話ができるのは、クラゲが、「人によって使っている辞書が違う」ということをきちんと解っているからなのだと思う。このことを自覚している人というのは意外に少ないのだ。少なくとも所謂「常識」というものが万国共通で、自分の常識が絶対正しいと思っているタイプの人は自覚したくてもできないだろう。
だからと言って、人に通じないようなコトバを誰もが喋っていてイイと思っているワケではないので、最低限、事務手続きなどに差し支えのない、意味の取り違えようのないコトバについてはきちんと習得して欲しいものだと思う。これはクラゲの話ではないけれども。
19th
(sat.)
週に1度の買出し先で、懐かしいお菓子を発見。昔、カナダに留学していたトモダチが、帰国のたびに手土産にしてくれていたメープルシロップクリームのクッキー。日本で売られるようになっていたとは知らなかった。
海外の甘モノ(甘モノに限りませんが)、随分入手しやすくなりましたね。レオニダス(ベルギーのチョコ屋)は来ないのかな〜。
やはり海外モノの甘モノに舌が慣れると、日本のいわゆる「甘さ控えめ」では物足りなくなってきます…というより、甘モノは甘くてなんぼのものなんではないでしょうかね。尤も、甘けりゃイイってものでもないのですが。良質の甘味なら控える必要なんかないんだと思いますよ。

今日の和菓子:「ぬれ甘納豆」 花園饅頭(東京・新宿)
豆系の甘モノが無性に食べたくなって買ったのでスが。黒豆の甘納豆食べたのハジメテだったのでちょっとビックリ。やや乾燥したお正月の黒豆ってカンジですね。食べ始めると止まらないのが我ながら怖かったでス。
18th
(fri.)
著作権、というのは、書かれた文章作品や画像についてだけ生ずるものなのだろうか。姫神は、例えば著作権を主張するサイトであれば、そのデザインや、注意書きの文章も著作権が主張できるものだと思うのだけれど。
いや、注意書きというのは、どこのサイトも似たようなもので、だいたいそっくりな文章になることは解っているのだけれど、中にはそのサイト独特の注意書きとか断り書きとかいうものがあって、それは多くの場合そのサイト管理人のオリジナリティとか性格的なものを反映しているのだと思う。そういうのって著作権とは関係無いんだろうか。
関係ないんだとしても、他所のサイトにある(そうゴロゴロしているわけでもない)断り書きを、殆ど文章のニュアンスも変えずにコピーすることはどうだろう?そういうのはパクリって言わないんだろうか?

あと、企画ものの場合。
小説や絵や感想などという、割とどこにでもある企画ではなくて、そのサイトの管理人がオリジナリティを発揮しているような独特な企画もの(そこまでいかないにしても)なんかは、同じようなものを自分もやりたかったら、「自分もやりたい」ってコトを知らせた方がいいんじゃないかな…というコトを考えたりする。
著作権、とは微妙に問題が違うのだろうけれど、真似された、とかパクられた、とされた側が明らかに思ってしまうようなやり方はどうかと思うのだ。
そう言うのって、気になる方がどうかしているんだろうか?

実は、随分前からちょっと気になっているコトがあって、今日改めて気になるコトが増えてしまったのでこんな疑問が頭から離れない。うちと部分部分が似ているっぽいサイトがあるのだ。
もともとは、「ここって…」と、友人に指摘されて気づいたコトなのだが、自意識過剰なのかもしれないので、ずっと気にしないようにしていたのだけれど、なんだかやっぱり気になるので悶々としている。
17th
(thu.)
今年も自分のまわりでは、何事もなく8月が過ぎて行く。
何事もない、というのが実はとてもスゴイことなのだと、毎年なんとはなしに思い知らされる。

今日の本棚:「直感サバンナ」 ゲッツ板谷著、二見書房
誰彼かまわずオススメしていい本と、そうでない本というのはあります。この本は後者。でも好き。この「本日の本棚」コーナーは、自分で読んで面白かった本のうち、一般書店で手に入りやすいものを紹介(?)しているトコロで、「面白いから読んでね!」というトコロではないのです。姫神はゲッツサンの書く文がとても好きです。でも、キライな人がいることも知ってます。
13th
(sun.)
大王の仲良しが、マレーシアから帰ってくるついでに東京に寄る、というので一緒に会いに行くつもりだったのが、昨日病院で倒れたこともあって外出を禁止される(くぅ)。大王が単身東京へ行く。
帰ってきた大王のおみやげの中に、マレーシア土産の「貢糖」というお菓子を発見。ぼろぼろとバラけて、ものすごく食べにくいのが難点だけれど、とてもオイシイので、お気に入りに認定。今度東南アジアに誰かが行くとき買ってきてもらおう〜。

秋になったら、ベルギーに行こうと思っていたのを少し思いなおしている。ベルギーやめて、シチリアに行こうかな、とか。どうせベルギーに行っても、ビール飲めないしなぁ…。
アルコールに弱い、というのはヨーロッパ旅行では致命傷で、本当にどこへ行っても困ることが多い。困らないまでも楽しみが半減していることがイヤでもわかってたいそうツライ。ギリシアのワイナリーに新酒を飲みにおいで、と誘われたところで、実際行っても飲めないワケだし(涙)。
12th
(sat.)
今日は、病院で倒れました(笑)。
実際は笑いゴトではないのですが…。倒れた原因が笑いゴトだったので、医師にも看護婦サンにも心配されつつも、笑われて病院を出ました(汗)。関係各位にご迷惑をお掛けした…というより、一瞬ですが、ミナサンを恐怖のどん底に陥れたようです。

さて。
車の中で、突然大王が、「夏休み子供相談室」って今でもやっているのかなぁ?…などと言いだす。教育テレビやラジオでやっている、アレである。なんと言うか、大人になってから見ていると、子供というのはタイヘンな時代だなぁ、としみじみ思う番組である。大王も子供時代やや真剣にその番組を見ていたひとりであったらしい。そうか…そうだったのか。
7th
(tue.)
ウェディングドレスを購入したサロンから電話が来た。クリーニング被害についての相談に乗ってもらうためなのだが、ここの社長とお話するのは、いつもひどく落ちつく。服に対する愛情や、製品に対するプロとしてのプライドにとても共感するせいだろう。実にイイ店だ。ただ、どんなに惚れ込んでもウエディングサロンにそうそう用事があるハズもなく、どうにか用事ができないものかと(もう一度行きたくてしかたないらしい(笑)←それほど好き。)思うのだが、もう一度結婚式でもするか、身内が結婚するときに紹介するかしか、用事などありようが無いことも解っている。お得意サマにはなりようがないのだ(笑)。
結婚式は、一生に一度とは限らないものらしい。
大抵の場合、伴侶が同一人物であれば、結婚式は1回、というのが定番だとは思うが、私の友人の中には、毎年結婚式を同じパートナーで挙げている人がいる。毎年、違う国の違う教会、あるいは違うホテルで(笑)。
これならドレスだって何度でも着れるし、新婚サンにはどのホテルも応対が丁寧で居心地がいいし、と彼女は言う。そして毎年毎年、結婚の誓いを新たにするのだ。なんだかうらやましい遊びだなぁ、と思う。正式なキリスト教徒ではないから、教会での結婚式に対して身構えることもないのだろう。同じ伴侶との結婚式であれば尚更、神様だって「おう、また誓うのか」とか、おおらかに喜んでくれそうだ。

今日の本棚:「スーツの神話」 中野香織著、文春新書
メンズファッションというのは、自分で身につけるものではないだけに、選択にも戸惑いまスし、正装ともなるとイロイロと規則も煩わしく、なにやら資格が取れるほど複雑怪奇な決まりごとが目白押しでス。そういうプレッシャーに負けない為に、スーツの歴史的背景から押さえておいてしまおう、と読み出したら面白かったでス。それにしても、ナニかある度に大王の服装を上から下から持ち物までコーディネートするのは疲れまス。別に亭主関白でもなんでもないのですが、自分のセンスにとことん自身がないらしいでス。
6th
(sun.)
すっかりファンタジーモードになってしまって、いてもたってもいられなくなったので、「ゲド戦記」をゲット。昔読んだときよりずっと面白くて、どうして子供の頃はあんまり夢中になれなかったのかなぁ…などと考える。
ここからは思い出バナシになるが、中学生・高校生時代、どういうわけかいつも学校に到着するのがとても早くて(どういうわれもなにも、田舎から電車通学だったので、早く着くか遅刻するかしか選択肢がなかったのだ。)、始業までの1時間くらいをいつも図書室で過ごしていた。朝の図書室は人気がなくて、そのうえ夏は涼しくて、広い閲覧室の一角で、毎日毎日、片っ端から本棚の本を読んでいた。
思えばあの頃がいちばん本に恵まれていた時代だったかもしれない。読書好きの友人もいて、特にファンタジー文学の世界で話が合った。年上の従兄弟がアメリカに住んでいるという友人は、特にイギリスファンタジーに薀蓄があって、あの小説を読んでおかないとダメだ、この作品を読んでいないとファンタジーファンとは言えない、などといろいろ教えてくれたものだった。(いまにして思えば、その従兄弟とやら、ファンタジーヲタクだったんだろうなぁ(笑)。)車で30分以上かからなければ本屋もない田舎で育った私には、そういう知識が皆無だったし、小学校の図書館はお粗末なもので、読みたい本を読み尽くすのに1年かからなかったと思う。だから、本をめぐる環境はなにもかもが新鮮で、学校の近くに沢山本屋があったことも、「安いから」という理由だけで岩波文庫を買いに通い出した古本屋で、思いがけずご主人に気に入られて哲学書のことを教えてもらうことになったりしたことも、このうえなくシアワセだった。あとは欲しい本が好きなだけ買えるお小遣いがあれば…(笑)。

図書室では、雑誌もよく読んでいた。
とはいえ、学校が購読する雑誌なので、それほど子供が楽しいものはなく、雑誌でいちばん愛読していたのは、「今日の料理」のテキストだったと思う。(…。)特に料理が好きだったから、とかではなく、料理をつくるプロセスの図解というのが妙に好きで、それはいまも変わらない。誰かがナニかを作っている途中、というシーンはどうしても目に留まってしまって、そのまま離れられなくなる。
この本の入荷日に、必ず早朝から図書室に顔を出す先輩がいて、他になんの繋がりもない人だったが、なんとなく仲良くなったのを覚えている。

今日の本棚:「ゲド戦記」 ル=グィン著、岩波書店(全4冊)
子供の頃読んだ印象と随分違う気がしたのですが、最近改訳されたそうでス。まあ、印象が違う、というのは私が大人になったせいでしょう。子供の頃、「三国志」を読んであまり面白くないね、と父に言った時、「それはまだお前が子供だからだ」と言われたのですが、そういうコトは良くあるのだと思いまス。ただ、「ナルニア国物語」では、子供の頃感じた中だるみ…というか、どうしてもつまらなくて読みたくなくなる箇所があったのですが、最近読みなおしても全く同じ処でつまづきました(笑)。基本的な好みは変わっていないようでス。
5th
(sat.)
星矢版に遅れること4日、封神版の暑中見舞(友人への送付用)がようやく描きあがったので、暑中見舞メールを書き始める。そういえば、年賀状をサボっているので、この暑中見舞がなんだか、年に一度の挨拶回りになっている。どうも、年末年始にはナニもする気が起きなくて、ここ10年くらいは年賀状は書いていないのではないだろうか…。
(あっ、クリスマスカードは書いてるぞ!)

郵便事故。
同人屋をやっていると宿命のようにつきまとってくる問題であるにもかかわらず、一般では「まさかそんな」と言われてしまうコトが多い。だって、仕事先で「郵便事故が心配だから…」とか言うと、「そんなコトあるわけないじゃん」とか言われていたのだ。←後に、実際に被害に遭って、認識を改めてくれたので、重要書類を郵便で発送することは無くなったけど。
普通郵便、速達はもとより、書留だって無くなるときは無くなるし、無くなったら絶対出てこない。
これまで何度となく被害にあってきた姫神だが、最近、新たな被害が発覚してやや途方に暮れている。どうも、去年出した「結婚して、引っ越しました」ハガキがあちこちで紛失しているらしいのだ…(汗)。
新居を報せることぐらいはいつでもできるからいいとして、「結婚や転居の挨拶もロクにできない礼儀知らず」と、知り合いの何割かには思われてしまっているらしい…というか、そうに違いない(汗)。どうしてくれるのだ郵便局(涙)。そういう人達に限って、郵便事故なんて信じてくれないのに…(汗)。
4th
(fri.)
すぐ近くで雷が鳴ってアブナイので、パソコンはいじれないため、プレステでタクティクス・オウガ。これだって途中で停電なんてことになったらかなりツライので、ドキドキしながら戦う。戦い方がマズイのか、戦死者を出したくないという方針が良くないのか、とにかく先に進まないゲームで、いまだにゲーム中盤をウロウロしている。

気分転換に衣類用の乾燥剤の入れ替えをしてみる。
このあたりは半端でなく湿気が多い。
奈良に住んでいたときも、盆地のため夏場の湿気には事欠くことがなかったが、マンションが構造的に湿気が少なかったので、それほど衣類の保管に気を使うことは無かったのだが、ここではうっかりするといろんなものにカビは生えるわ虫はつくわ、ニオイはおかしいわ…という訳で、月に一度は乾燥剤を取りかえる作業が必要になる。化繊と木綿が主体の夏物衣料はともかく、冬物と、和服の手入れは実際タイヘンに煩わしい(汗)。←土地柄とか気候がどうこうという問題ではなく、我々が住んでいるこの家が、どうやら基本的に欠陥住宅。
そのうち洋服ダンスの抽斗から、妹からのローマ土産の絵本が出土した。(出土という言い方でいいのかどうか…)イタリア語なのでほとんど読むことはできないのだが、聖母マリアの物語である(たぶん)。小さな本だったので、引越しの時に紛失しないように洋服ダンスに仕舞ったのを忘れていたらしい。考えた末、絵本はこの抽斗においておくことにした。あまりにも小さくて(B7版くらい)本棚では埋まってしまうし、適当な分類場所がみつからないので、ハンカチと一緒でいいや、というコトで。

今日の本棚:「しろいうさぎとくろいうさぎ」
ガース・ウィリアム著、福音館書店

絵本です。昔、プレゼントでいただきました。いろいろと背景のある作品らしいのですが、詳しいことは知りません(汗)…というか、一応知っているのですが、ナニしろ情報が曖昧なので、ここではコメントできないのでした。
3rd
(thu.)
「ハリー・ポッターと賢者の石」を読んで以来、自分が子供の頃からのファンタジー好き(とはいえ全然ディープなファンとは言えない程度)だったコトをふつふつと思い出しているうちに、どうしても「ナルニア国物語」を読みたくなったので、大王に会社帰りに本屋に寄ってもらう。全7冊のうち、入手できたのは3冊。岩波少年文庫は最近装丁も新たに再刊行中らしく、なんだか勝手の違う印象に少々とまどいつつも読み耽る…が、さすが児童図書。1冊読むのにものの1時間もかからない(汗)。←これではヒマツブシにならない…。
ともあれ、中学生時代には英語版で読んでいた「ナルニア国物語」、なんだか記憶していた内容と随分印象が違うような違わないような…。これはおそらく翻訳のセンスの問題なのだろう。あとは子供の頃のつたない英語力ではイロイロ誤解もしていたのだろうし。

誤解といえば、「ネコ肉屋」。
このハナシ、もうどこかに書いたかもしれないが、「ドリトル先生」シリーズに登場するマシュー・マグの職業、「ネコ肉屋」にまつわる思い出である。
姫神はこの「ネコ肉屋」を、ずっと、「ネコの肉(豚肉とか牛肉と同じノリですね。)を売る職業」だと思っていた。ドリトル先生シリーズは、小学校1年生の春から、大学生になるまでずっと愛読書だったのだが、大学2年生くらいのある日、ふっと気づいたのだ。「…ネコ肉屋って……“ネコのエサ用の肉”を売る仕事?!!」
それまでどうして気づかなかったのか、思い返せば不思議で仕方ないのだが、ネコ肉を売り歩くマシューの後ろを、ネコたちがついて歩く、という小説の描写はなんだか幼い姫神にとってちょっとしたホラーだったりしたのだ。

いま、岩波少年文庫の目録を手に思い返して見ると、子供の頃はずいぶん岩波少年文庫…というか、岩波の児童図書に世話になったのだなぁ、とつくづく思う。子供の頃うちにあったのは文庫ではなくて、すべてハードカバーだったが、海外ファンタジー(というかイギリス児童文学)を中心にかなり揃っていたようだ。
そうした読み応えのある本は、たいていの場合、東京に住む伯母が、私と妹に1冊ずつ折をみてはプレゼントしてくれたものだ。だから姫神には、ファンタジー=東京のおみやげ、というヘンな印象がいまも心のどこかにあったりする。そして、自分で買うものではなく、プレゼントしてもらうものだ、というちょっとした思い込みも。

今日の本棚:「ドリトル先生物語全集」
ヒュー・ロフティング著、岩波書店(全12巻)

他の岩波児童図書に比べても、文章の表現がずばぬけてスバラシイのも、このシリーズの特徴でス。なにしろ翻訳が井伏鱒二。(このことに気づいたのも高校生の時くらいでした。)シリーズとしては、「アフリカ行き」が最初らしいのですが、姫神はどこかの出版社が出していた「少年少女文学全集」に掲載されたものを最初に読んだため、「航海記」から入りました。ちなみに、映画の「ドクター・ドリトル」、あれは名前だけが同じの殆ど別物ですので、念のため。あと、最近刊行のものだと、巻末に黒人差別表現云々の注意書きもあって、そのあたりも時代をかんじさせます。(同様の注意書き(?)は、最近の手塚治虫の著作にもありますよね。)





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