◆今月のコトバ◆
春愁(shun-shyu):春になると、なんとなくもの悲しい、寂しいカンジがするのはよくあることらしく、こんなコトバがありました。春の愁い。なんだかワカル気がします。ウキウキわくわくした気分の中に、ふっと紛れ込んでくる感覚でしょうか。(チガウのかな。)

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31th
(fri.)
有珠山が噴火した。いろいろと不具合や行き届かないこともあるのだろうが、災害がある程度正確に予測できるというのはいいことだと思う。

ここ2、3日「サイトをもう閉鎖しよう」という考えに発作的に襲われている。昔から春になるとモノを書く意欲も薄れ、同人誌もやる気が失せるという現象が気にはなっていたのだが、季節的に「書く」ことと相性が悪いんだろうか。いわゆる「木の芽どき」の情緒不安定ということで片付けても一向に構わないのだが、あまりにも毎年律儀に訪れる、「書く」ことに関してだけ気力の失せる憂鬱というのは始末におえない。
で、「別にこのサイトが無くなったからって誰も困らないし…」などと考えながら、閉鎖のシミュレーションが頭の中でサクサク進んでいる。サイトを閉鎖するというのは意外と面倒なもので、方々への挨拶もあるし、当面はご挨拶ページを残したりもしなくていけないだろうし。
もっとも、春の一過性の気分でのことなので、本人的には本気になりながらも、実際のところはあまり心配はしていない。いまだかつて、春に「もう止めよう」と決意して実際に止めたことなど殆どないのだ。同人誌を作ることだけはさすがに5年前にやめてしまったが、気がつけばこうしてなんだか復活しているし……。
ほかの季節の憂鬱が、家に篭っていると溜まってくるのに対して、春の憂鬱は外を歩くと蓄積されてくるような気がする。実際、この季節に外気に含まれる何かの成分が精神的な作用を及ぼして「木の芽どき」には情緒不安定になるのだという話をなにかの本で読んだ気もするのだが、真偽の程は定かではない。

今日の本棚:「虫屋のよろこび」 ジーン・アダムズ編、平凡社
いきなりでスが、ゴメンナサイ。虫、好きなんでス(汗)。サイト訪問者の大半が女性だっていうのに虫の話はやっぱりマズいかな〜…とは思っていたのですが、つい書いてしまいました…。この際だから言ってしまうと、爬虫類も両生類も好きでス。嫌いな人で、姫神と話す機会のある人は、あらかじめ嫌いだってことをはっきり言っておきましょう(汗)。
30th
(thu.)
多分、私の一番の趣味は「眠ること」なんだと思う。することがないので1日中眠っていた。そもそも、することがあったとしても、眠りたいときはおかまいなしで1日眠っているのだから、この際「することがないので」というのは理由にもならないのだが。
眠りすぎで少し頭痛がして目を覚ますものの、1時間ほど本を読んでまた眠る。子供の頃から放っておくといつまでも眠っているのが両親の心配の種だったことを思いだす。ふと仕事のことややりかけのホームページの更新作業のことが頭をよぎるが、なかったことにして眠り続けた。
28th
(tue.)
今日はゲーム日記。久しぶりにプレステで「アストロノーカ」を始める。何を思ったか、主人公の名前を「フゲン」に。なんとなく宇宙農夫というスタンスが彼の性格に合う気がしたし、ナニしろこのゲームは平和だ。恋人役が現れるなら文句ナシで「ボウ」ちゃんにしたいところだが(笑)、そんな艶っぽいエピソードのあるゲームでもないので、黙々と野菜を作ってはバブーをワナにはめていく。バブー(特にバブバブー)の歩き方がとある友人にとても似ていて、なんだかとても懐かしい。1年くらい会っていないその友人にメールで「バブーの歩き方と似てるね」と送ると、「自分もそう思う」とコメントが返ってきた。自覚していたのか。
目下の目標は「ひよこレモン」の栽培。名前がカワイイので作りたくて仕方ないというだけの話。なにしろ「ひよこ魔王」だしね。

「妖精事件」の原稿がすすまない。ネタがオソロシイほど溜まっているので早くなんとかしたいのだが、どうにもうすぼんやりとしてしまって筆がのらない。まあ、焦って仕上げなければならない事情もないので、そのうち書きたくなる時がきたら書けばいいだけの話なのだが。(心待ちにしている方がいるとしたら申し訳ない…ι)プレステのコントローラーを握りしめながら、気力が沸いてくるのを待っているうちに1日が経ってしまった。

今日の本棚:「情報操作のトリック」 川上和久著、講談社現代新書
要するに昨日本屋へ行って買いだめてきた新書のうち、2冊ほどがアタリだったので続けて紹介しているだけでス。「情報」を上手く見極めるというのは確かに難しいものでスが、どう考えても生きていく上で必要不可欠なスキルなんだと思いまス。ホントに難しいですけどね。
27th
(mon.)
5月にギリシアに行くことになった。今回は1年半ぶりの、確か4度目の渡航になる。行先はロドス島。時間があれば、ついでにトルコに渡るか、他の島へ滞在するかという方向で検討してみたものの、どうにもスケジュールが合わず断念。
現在園芸種として栽培されている花やハーブの多くがルーツをもつ地中海沿岸への、折角のベストシーズン(勿論ビーチリゾートのベストシーズンは6月以降9月まで。植物好きにとっては4月・5月・10月がベストシーズン。)の滞在だったので花めぐりの時間を楽しみにしていたのだが、あいにくロドス島以外はアテネ近郊に行動範囲は限られるらしい。それでも、憧れのアクロポリスに咲く赤いケシが見られれば充分満足なのだが(そんなとこに行ってる時間あるのか。)あの花は確か4月の花だったか…。

今日の本棚:「日本の<地霊>」 鈴木博之著、講談社現代新書
全然関係ないでスが、このところ出版業界では「新書」の刊行がブームだそうでスね。姫神は昔から本屋で最初に足を向けるのは新書版のコーナーで、そこで面白そうなものを見つけるととりあえずあんまり中身もみないで買ってしまうタイプなのでスが、ここのところ見なれない出版社の新書版を沢山みつけて首を傾げることが多くなりました。なんだか最近刊行されている新書版は、昔からある講談社とか岩波とか中公とかとは内容の傾向が少し違うみたいでスね。気のせいかな。別にそれは良いんですが、デザインが似ていて時々紛らわしいのがあってそれが困りモノ。
26th
(sun.)
「花が見たい」というコトで、新宿御苑に初めて行った。自宅近くでようやく満開の梅は、東京ではもう散っていた。
天気の良い日曜日の公園は気分がいい。カラスの大群とカメラ小僧の大集団にひるみつつも、白木蓮や緋寒桜、彼岸桜の満開を眺めて歩いたり、芝生に座って話をしたり。日の高いうちはいいものの、夕刻も近くなるとかなりの寒さで、浮かれて薄着で外出してしまったコトを激しく後悔する。
それにしても、カラスをこんなに間近で観察できる場所というのは東京くらいのものなのではないだろうか…と感心すらするくらい、カラスが近いところにいる。いつも遠目で「大きいなあ」と思いながら眺めていたヤツラは、想像以上に大きくふてぶてしい。人が被害に遭うことも珍しくないと、情報としては知っていたが、つくづくオソロシイだろうなぁ。
玉藻池で、カワセミを遠目で発見。オレンジの腹と翡翠色の背中のコントラストが美しい。奈良では結構どこでも見かけた鳥だったが、関東に来てからは初めて目にする。カモとオシドリも久しぶりに見た。
この日のことはそのうち「妖精事件」のネタになるだろう。東京を歩いていると、いつもあのシリーズのことが頭から離れない。

「ネットマナーラボ」のコンテンツの完成と「ダルダルマナーラボ」の整備を急ぎたい。このサイトの本来の趣旨はあくまで太普の小説とイラストが中心のハズなのだが、マナーラボ関連ではやりたい事が実に多く、どこから手をつけていいか解らないくらいだ。とりあえずは、メールの出し方に関する技術的問題を早急にアップしたいと思う。これは「挨拶をしろ」だの「敬語を使え」だのという本来の意味でのマナーの類以前の問題で、最低限注意を喚起しなくてはならない。
確信犯的マナー違反を別として、まったくの初心者に対してネットマナー違反を頭ごなしに叱りつけることはしたくないので、言って解ってもらえることは、できるだけ穏便に注意を促しているつもりなのだが、やはりコミュニケーションに不慣れなせいか、必要以上に恐縮されることが多く、胸が痛む。(このことは24日にも書いたが。)
初心者が初心者であることに甘えるのは言語道断とはいえ、二言目には「これだから初心者は…」という態度もいかがなものかと思うことがある。ネットマナーを云々する以上は、私自身にもマナー違反があってはいけないと思い、自戒の意味も込めて言うのだが、来訪者にマナーを要求するからには、管理人にもモラルやマナーは要求されるはずのものだろう。少なくとも私が管理するサイトに関して、マナー違反とおぼしきモノがあれば、指摘していただきたいものだ。来訪者には衷心からお願い申し上げたい。
それにしても、私が言うのもアレかもしれないが、あまり「マナー、マナー」とウルサイのもいただけないものだ。
マナーやモラルには、一般社会全体に合意されているものから、その人の家族の中だけのマナー、仲間内だけの決まりごと、果てはその人本人の価値観だけによるものまで、かなりの幅がある。私がネットマナーとして扱いたいのはせいぜいが「同人サイトではこうした方がいい」という範囲までに一般化できるレベルのマナーとモラルなのだが、おそらくは一般的なネットマナーやモラルより一段階範囲の狭いものとなるのだろう。

今日の本棚:「粉体の科学」 神保元二著、講談社ブルーバックス
ブルーバックスといえば、内容が面白そうな割に文章がダメで(解りにくい悪文が多い)、途中でイヤになるコトが多いのでスが、これは読みやすかったでス。粉や粒のことを知ったところで何の役にも立たない人も多いのでしょうが、知識なんて所詮そんなものでス(笑)。
25th
(sat.)
昨日の日記(下記)を読みながら、「おお、偉そうに」と自分で思う。おそらくは文体のせいだろう。「です・ます」なり話し言葉なりにしてしまえば、印象はかなり柔らかいハズなのだが…まぁいいや。このままいこう。
現内閣が発足当時から「教育改革」をメインの旗印のひとつに掲げていたことは知ってはいたが何かの冗談だと思っていた。出てくる改革案のひとつひとつが、いちいちあまりにもバカバカしくて理解に苦しむ。コレ以上基礎学習をおろそかにしてどうしようというのだ。いままでの度重なる「教育改革」の成果で、もう充分に日本の義務教育のレベルはかなり低い。

今日は海外ドキュメンタリー「エッシャーの世界」を観た。子供の頃、何かの博覧会のとあるパビリオンでエッシャー展があり、その会場の3階建ての吹抜の壁一面がモノクロのエッシャーの作品(おそらく「空と水」)で埋め尽くされていたのにすっかり魅了されて以来、最愛の芸術家のひとりなのだが、実際に動いて話しているフィルムを観るのははじめてで、一際感慨無量だった。そういう訳で、一晩エッシャーの画集を眺めながら過ごしていた。

今日の本棚:「ゲーデル・エッシャー・バッハ」 ダグラス・R・ホフスタッター著、白揚社
もう随分前に出版されたものでス。ゲーデルの不確定性原理と、バッハの音楽とエッシャーの絵についてのオハナシ。普賢や太乙の愛読書になりそうなカンジの内容でス。
24th
(fri.)
彼岸、実家へ帰省して、久しぶりに地元の地方紙を読んだ。特にこれといってスバラシイ新聞というワケではないが、少々感銘をうける記事があった。(ただし、広告記事だったのかもしれないので、他紙にも載っていたかもしれない。)
岩波古語辞典の編者のインタビュー記事だったのだが、日本語に対する危機感には全くのところ同感だった。母国語さえ満足に使えない子供どころか成人が溢れるような現状で、これ以上国語教育の時間を短縮したり簡略化するのは愚行以外のなにものでもない。氏は「勉強しなくても母国語は自然に使えると思ったら大間違いだ」と言っていたと記憶しているが、本当にそのとおりだと思う。
私の国語が絶対正しいのだ言うつもりは毛頭ないが、職業として国語教育に携わった経験と国文法教科書の内容から得られる知識だけから言っても、助詞・助動詞の使い方をきちんと把握している人は随分少ない。敬語など、まして正しく使用している人を殆ど見かけない。義務教育期間中にひととおりは学ぶ機会があるのだが、おそらくは入試にもさほど出題されないこともあり、懸命に学ぶ人もいないのだろう。
敬語を正しく使用できなくて困るのは、就職活動以降だろう。実務の世界では煩雑な敬語の使用を求められることが多い。メールという手段が多少儀礼を簡略化しているとはいえ、敬語を使わないで済むことはない。そこで、実務に必要な敬語はそこでマスターするのだろう。
とはいえ、それがすべての敬語に精通する事にはならない。(ついでに言うなら、ビジネス敬語すら、それでもなおままならない人の方が実は多いのが現状だ。)残念ながら、私は一分の隙もなく正統な敬語で書かれたメールなり手紙なりをこのサイト経由でいただいたことが殆どない。ただし、私はそのことについて、特に感慨はない。敬語が正しく使われないという点は確かに悲しい現状かもしれないが、無理もないことだと思うし、単なる技術の問題なのだから、これから知る機会はいくらでもあるだろう。
それに、言語は生きている以上変化する。10年ほど前にはとても受け入れられなかった言い回しが敬語として受け入れられることもある。流行語ほど変化は激しくないが、そのことをいちいち間違いとして指摘するのも愚かなことだろう。ただ、あからさま誤用については、指摘していいものかどうかたまに迷うことがある。
ましてこんな場末の同人サイトの管理人に対して、それほどの敬語を使う必要もない。このような場所柄で、無理して敬語を使うこともないと思う。最低限丁寧語(です・ます調)であれば、充分礼儀正しい振るまいだろう。それですら親しくつきあうようになればいずれ不要に感じられるものだ。
逆に、間違った敬語を自信たっぷりに使われる方が余程疲れる。(それでも別段、腹立たしいとは思わない。そんなことにいちいち腹を立てるほど暇でもない。)

どんなに正しく敬語を駆使して書かれた手紙やメールでも、書いた本人の内心にそれなりの敬意がない文章の方が、却って失礼だと感じることがままある。所謂慇懃無礼という態度なのだが、うわべだけを繕っても、本心や本性は案外簡単に解ってしまうものなので、無理はしない方がいい。もっとも、こうした部類に入る人は、無邪気に失礼なだけの場合が多いので、これもこちらでは失笑を買う程度なのだが。

蛇足ながらもう少し話を続けると、このサイト運営を続けていて、真剣に腹立たしく感じるメールや書き込みの類には実はまだ出会ったコトがない。多少、誤解や曲解や思い込みで激しいメールをくださる人がいて、少々困惑することはあるが、それ以外は大抵、ネットでのコミュニケーションに不慣れな人による「どこかで何かをカンチガイした」とおぼしき技術的に未熟なメールや書き込みが舞い込む程度で、こちらに関しては注意書きと共に返信を心掛けている。勿論言葉遣いについて注意したりはしていない。言葉遣いはその人個人の必要性やポリシーの問題だと思うので、それを受け手がどうこう言うのはナンセンスだと思っている。いつか自覚して「ヤバイな」と思ったときに自ら心掛けて学習すればいい。

話は変わるが、メールのやりとりやチャットで、「…怒っていると思うのですが」とか「…もう嫌われたと思うのですが」と度々言われる。叱られ慣れしていない…というか、自分の言動を注意される機会も余りないまま成長してきた人が多いのだろうか。確かに私はメールでもチャットでも、注意書きが多かったり、頻繁にツッコミを入れたりしているが、あいにく腹を立てたり、その人を嫌ったりしたことはない。(呆れることはたまにあるが。)
正直言って、他人を嫌いになる、という感覚が実を言うとよく解らない。嫌いになりそうな相手には最初から近づきもしないし、「嫌い」と思うほど強く感情が動く相手が第一、あまりいないのだ。
「怒って…」に関しては、出来事に関しては腹を立てている場合があるけれども、それを起こしてしまった人物に対して怒りを覚えることは余りない。それに、怒ったときは正直に「ムカツク」と言い出すので、言わない限りは大丈夫だと思ってくださってイイ。
この件に関しては、多分私の方がもう少し愛想よく振舞うなり、顔文字アレルギーをなんとかして(笑)、表情豊かにレスを返すなりの技術を身につける方が解決の早道なのだろうが、どうしても上手く行かないので、こんなところでフォローしてみようと思ったのだが、フォローにもなってないかもしれない。
…それより「この日記を読んでますます怖がられるかもしれないねぇ」という友人のコメントの方が少々気になるが、実際のトコロはどうなのだろう。

今日の本棚:「台湾の主張」 李登輝著、PHP研究所
以前裏日記でやっていた書籍の紹介をこちらで続けることにしました。封神とはあんまり関係ナイことの方が多いのですが、面白かった本を気が向いたときに紹介していこうと思っていまス。で、復帰1回目はコレでス。





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