◆歩きたくなる径◆



2 夢のひよこ

春の午後、ふいに思い立って掃除を始めた研究室の隅で、太乙は棚の陰に転がり込んで埃をかぶっていたちいさな球体を見つけた。
手にしてはみたものの、それが何なのかしばらく思い出せずに、埃を手で払いながらながめていると、うすむらさきだったその球体は、少しずつ色を替えはじめて、やがて透明な桃色になった。

(ああ…そういえば)
昔、ここで暮らしていた小さな子供の、痩せた背中を思い出す。
球体は、その子供―――――普賢の為に太乙が作った。
(全部、始末したと思ったのに…)

接触する温度と湿度で次第に色を替えるその球体は、ちょうど子供のちいさなの手のひらにおさまるほどの大きさで、入浴を怖がる普賢の気を紛らわせるために、少しでも慰めになるものをとつくり始めた玩具のひとつだった。
仕掛けは複雑で、随分と苦心して仕上げた記憶がある。
不透明な球体が透明になると、中に黄色いヒヨコのホログラムが浮かぶ。
歩いたり、こちらを向いて鳴く仕草をしたり。
見つめていると、そこに重なるように、両手でそれをそっと包んでじっとしていた普賢の、まるい背中が思い浮かぶ。



2年の間、そうしてつくり続けた玩具の類は随分沢山あったけれど、普賢が玉虚宮に居を移す時にすべて始末した筈だった。



てのひらの温度で動きだしたヒヨコを、窓からの陽射しに透かしてみる。
ヒヨコは虹色に溶けて、僅かにノイズが走っているように見えた。



窓の向こうは若葉色に霞んで、遠く崑崙山が空に浮かんでいる。
今ごろ何をしているだろうか、とふいに思う。

それから、掃除を続けるために太乙は箒を手に持った。
球体は、少し考えてから、そっとゴミ箱に放った。

どこかに大切にしまっておこうかと、一瞬よぎった思いつきが我ながら可笑しい。
球体に詰まっていた微かなノスタルジアは、側に置いておくにはあまりにも利己的で、どこか独善的だとしか太乙には思えなかった。

窓を開けると、春の空気のにおいがした。
風が、空の高いところでうなる音が聞こえる。



それからしばらくして、他の燃えるゴミと一緒に球体は燃やされて灰になった。



back top next