私の取っておきの山

   「取っておきの山」と言ってもそう多くない登山歴.白馬と藤原岳以外は全て一度しか(比良山系は別として)登っていないので、一番印象に残っている山の事を書きます。それは1993年(平成5年)10月9日に登った開聞岳です、その頃「ランナーズ」と言う雑誌に 「マラソンランナーは前日から沢山水分を取って 細胞に蓄えておくと記録がよくなる」と言うような記事を読んだ記憶がありました。 登山も同じ事だろうと思い、登山前に開聞山麓自然公園の売店で、大きな紙コップ一杯のスポーツドリンクを飲んでから登り始めました。 その日はとても暑かったのですが、暗示にかかりやすい性格のせいか本当に楽に登りきったのを思い出します。水分補給を済ませ、さて登山開始。登り始めの頃主人と「やっぱり南の山やなあ生えてる木が違うなあ」と言いつつ歩を進めました、(もう 7年も前の事なので細かな事はだいぶ忘れています) 視界の開けた場があり、今まさに横を通って来た池田湖の全景が見え、池田湖は「カルデラ湖である」と何かで見たような気がします、又しばらく歩くと今度は木々の間から長崎鼻が見えました、「本当に地図といっしょやなあ。」と感動する位くっきりと見えました、七合目を過ぎたあたりで空を見上げ海を見下ろせる所があります、空は抜けるように青く海はピカピカと光っていました。空の青と海の蒼が一体になったような恐怖心、「足の下は海」・・・・・足が竦んでしまいました。ここを過ぎると湿地帯があります湿地帯の本の一部だけロープが下ろされています、私はヤモリのようになって登りました。頂上に着くと沢山の人がいました、ある会社の方々がお仲間と発泡スチロールのケースにビールを沢山入れて登って来ておられました、「あれ持って上がらはったんやろか」と眺めていると、その中のお一人がビールを1本投げてくださいました、「私皆様のお仲間じゃないですよ」 「いいから飲みなさい」と言ってくださりありがたくありがたく主人といただきました。お弁当を済ませ寛いでいると、頭上から「母さん あれが種子島かね」と言っている声が聞こえました。私は種子島なるものを見たくて本当の頂上が空くのを暫く待ったのですが、子供達でごった返していましたので残念ながら種子島を確認する事は出来ませんでした。それから間もなく下山にかかりました、先ほどの湿地帯もヤモリになって下っていきます。空と海と両方を見られる所に差し掛かった時.前方から 左手にマルチーズを抱いた女性がスイスイと登ってきました、「あれ 位の気持ちで歩けると私達も登れる山がもっと増えるのになあー」と羨ましく見送りました。 「母さん あれが種子島かね。」と言っていた子供の声が脳裏に残っています、 折あらばもう一度登って自分の目で確認したいと願っています。 H5年10月9日のような快晴に恵まれるとは限らないのに・・・・・。