2003年「植村直己冒険賞」受賞

 

 

「植村直己冒険賞」は植村の出生地である兵庫県城崎郡日高町が主催するもので、「未知の世界を切り拓き、人々に夢と希望を与える創造的な行動(業績)を対象」とする冒険に与えられる。

選考委員は国立民族博物館名誉教授・石毛直道さん、作家の椎名誠さんらの五人で、日本人初の厳寒期シベリア単独自転車横断が評価された。

授賞式は6月5日に日高町で行われ、メダルと副賞100万円が贈呈される。

  http://boukenkan.jp/

 

 

 [ひと]安東浩正さん=植村直己冒険賞を受賞した
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 ◇厳しい土地ほど、人は温かかった−−安東浩正(あんどう・ひろまさ)さん

 植村直己さんにあこがれ山岳部を“卒業”した若者が十数年後、その植村さんの名を冠した賞を受けた。「本当に?と迷うほど最高」と声がうわずる。植村さんが消息を絶ってちょうど20年。

 北米最高峰デナリ(6194メートル)の登頂経験もあるが、「高所登山は組織もカネもいる。それより自分の力で挑戦したい」と、アラスカやチベットを自転車で走った。

 今回評価されたのは、その集大成である初の自転車厳冬期シベリア単独横断だ。一昨年9月に始まった1万4927キロの旅。後半、イルクーツク以東が厳しい。極寒地仕様の改造マウンテンバイクがパートナー。氷点下42度。止まれば汗が凍る。知人から譲り受けた植村さん直筆サインを身に帯びた。世界最大の淡水湖バイカルを渡り、息をのんだ。「日差しで氷の輝きが青や緑に変わった。こんな美しい物を見たことがない」

 「厳しい土地ほど人は温かかった」。その出会いに励まされ、248日後、サンクトペテルブルクでくんだバルト海水を、終点マガダンでオホーツクに注いだ。「費用? 機材は寄贈で。シベリアはカネ使う所がないし、50万円以下」。着想を得てから7年、費やした時間と汗は、無限大の価値がある。

 受賞は、温泉の滝で知られる知床・斜里町カムイワッカで知った。「冬は行けないと聞いたけど、2日間のラッセルで、秘境を独り占めできた」。目標は北、挑戦へ……植村イズムは生きている。<文と写真・野崎勲>


 ■人物略歴

 広島県福山市出身、鳥取大卒業。模型会社勤めを辞し、夢の実現に走り出す。妻と3歳の娘。34歳。 (毎日新聞2004年2月21日東京朝刊から)
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 植村直己冒険賞に安東さん 冬季シベリア単独横断 (共同通信社)

※写真=「植村直己冒険賞」を受賞した冒険家の安東浩正さん=12日午後、東京都中央区


 故植村直己氏の業績を記念した「植村直己冒険賞」(兵庫県日高町主催)の8回目の受賞者に12日、日本人として初めて冬季のシベリアを自転車で単独横断した冒険家の安東浩正さん(34)=神奈川県藤沢市在住、広島県出身=が選ばれた。

 安東さんは2002年9月、ロシア西端のムルマンスクを出発。凍結したバイカル湖などを通り、約8カ月かけオホーツク海に面したマガダンまでの約1万5000キロを自転車だけで踏破。氷点下40度以下にもなる極寒の中、約50万円という質素な予算でやり遂げたのが植村氏の精神につながると評価された。

 発表の席で安東さんは「植村さんの本なしでは冒険の世界には入っていなかったので、こんなうれしい賞はない」と満面に笑みを浮かべた。




 

 安東さんに植村直己冒険賞 【時事通信社】

 (12日午後、東京都中央区)

植村直己冒険賞の第8回受賞者に、冬のシベリアを単独で自転車横断した神奈川県藤沢市の安東浩正さん(34)が選ばれた。安東さんは約1万4900キロを248日で走破

 

安東浩正さんに植村直己冒険賞

 故植村直己氏の業績を記念した「植村直己冒険賞」(兵庫県日高町、植村直己冒険館主催)の8回目の受賞者に12日、日本人として初めて冬季のシベリアを自転車で単独横断した冒険家の安東浩正さん(34)=神奈川県藤沢市在住=が選ばれた。

 安東さんは2002年9月、ロシア西端のムルマンスクを出発。約8カ月かけてオホーツク海に面したマガダンまでの約1万5千キロを自転車だけで踏破した。

 なお特別賞には8000メートル峰14座登頂の明治大学山岳部・炉辺会が選ばれた。授賞式は6月5日、日高町で行われる。

 

 

  

 ■ 植村直己賞に冒険家の安東さん 知床で訓練

「植村直己冒険賞」を受賞した安東さん(5日、読売新聞知床流氷支局で)
知床で厳冬訓練に励んでいた自転車冒険家安東浩正さん(34)(神奈川県藤沢市)が12日、日本人で活躍した冒険家に贈られる「植村直己冒険賞」を受賞した。
同賞は、世界的冒険家として知られる植村氏の生地・兵庫県日高町にある町立の「植村直己冒険館」が、国内の傑出した冒険家に贈っている。

安東さんは、チベットやアラスカの厳冬期に自転車での冒険を続け、2002年9月から翌年5月にかけて、極寒のシベリア大陸1万4927キロ横断に成功した。

 

 

 「魂の冒険」 (東京中日スポーツ・2004.2.13)

 東京での受賞発表記者会見にて2月12日

 流氷が生み出す大地を10か月かけて横断し終えた冒険家・安東浩正に、オホーツクにその流氷が接岸した3月4日、氷の塊とともに朗報が届けられた。今年で8回目を迎える「植村直己冒険賞」受賞の知らせである。昨年、シベリア大陸約1万5,000キロを自転車で単独踏破し、同賞にノミネートされた177件の冒険(登山ほかすべてを含む)の中から栄誉を受けることになった。

「連絡をいただいたときは、ちょうど流氷が接岸した知床におりました。これ以上ない形でいただけたと思い、感謝しています」

 12日、同賞を主催する植村氏の出身地・兵庫県日高町による受賞発表が都内で行われた。安東は、マウンテンバイクでシベリアを横断した際と同じジャケットを羽織って壇上で挨拶をし、「冒険家というタイトルはどうも苦手です」と照れた。事務局によれば、散れと湖畔等にいた安東の携帯電話がずっと圏外で通じず、「知床まで受賞を知らせに行かないとならないかな」と笑い話も起きるほど、伝達さえ冷や冷やだったそうである。「冒険賞」の真骨頂のようなエピソードである。

 会見では、「なぜ危険を冒して自転車で?」と質問が飛んだ。毅然と答えた。  「危険を冒したことは一度もありません。そして冒険のみが私の目標ではないのです」

 このことを安東に教えてくれた人は、壇上の特大写真の中で満面の笑みを浮かべ、34歳の冒険家を見つめていた。  高校時代、「植村直己物語」を見て、著作を読みあさり、冒険を志した。しかし、高校生の心を奪ったのは困難な冒険ではなく、植村氏が行く先々で出会う人々との交流であったという。厳しい自然の中で出会う少数民族や、見知らぬ自分を我が家に招き入れてくれる人々。植村氏の著作にある「きゅうりの端っこだけ食べて倹約しても、行きたい場所を目指す」とするまっすぐな心。どれも当たり前のようで、その実「冒険」と名を打たなければ可能にならないかのような「現実」が、安東が「冒険家」の看板を嫌う理由なのだろう。

 単独横断中、植村氏が知人にしたサインと著作名しかない、古びた本の1ページをちぎって肌身離さず持ち続けた。苦しくなると、それを見た。30歳も違う、会ったこともない少年の心をつかみ、サイン一枚で厳冬期の単独踏破を励ます。これほど豊かな「魂の冒険」があるのだろうか。  今日13日、マッキンリーに冬季単独登頂を果たした植村氏の消息が途絶えた日から、20年目を迎える。

 

 



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植村直己冒険賞 自転車でシベリア横断の安東さんに            2004/02/13
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  受賞の喜びを語る安東浩正さん=東京都内


 兵庫県城崎郡日高町出身で世界的冒険家の故植村直己氏の業績をたたえた「植村直己冒険賞」(同町主催)の二〇〇三年度受賞者が十二日、東京都内で発表され、極寒のシベリアを自転車で単独横断した安東浩正さん(34)=神奈川県藤沢市在住、広島県出身=が選ばれた。

 八回目の今年は、個人・団体計百七十七件の冒険から選んだ。選考委員で作家の西木正明さんは「道もない世界の極限をわずか五十万円で走り切ったのは、すさまじい素晴らしさ」と評価した。

 安東さんは二〇〇二年九月、ロシア西端のムルマンスクを出発。イルクーツクから、氷結するバイカル湖を縦断する常識外れの北寄りルートを通り、〇三年五月、オホーツク海沿岸のマガダンに到着。日本人初の完全横断を果たした。

 会見で安東さんは植村氏の直筆サインを示し、「お守りとして持っていた。植村さんの著書を読んでこの世界に入った。こんなうれしいことはない」と喜んだ。「氷点下三〇度の地で人と出会うと、必ず興味を示してくれた」と、少数民族らとの交流なども披露した。

 今年は、植村氏がマッキンリーで消息を絶って二十年にあたることなどから特別賞を選定。植村氏の母校で、八千メートル峰全十四座登頂を昨年達成した明治大学山岳部「炉辺(ろばた)会」が受賞した。炉辺会の最初の登頂は一九七〇年、植村氏がエベレストで成功している。
 

 

日高から東京へ 府中小児童がお祝いメッセージ 2004/02/13神戸新聞

お祝いの言葉を述べる府中小の北出朱莉さん=日高町伊府、植村直己冒険館

十二日、東京で行われた「2003植村直己冒険賞」の受賞者発表の様子はテレビ会議システムで、植村さんの故郷・日高町伊府の植村直己冒険館に伝えられた。植村さんの母校・府中小学校の児童や町民ら約七十五人が集まり、受賞した安東浩正さん(34)の話に聞き入った。

二〇〇二年九月から二百四十八日間かけ、冬のシベリア約一万五千キロを走り抜けた安東さんは、子どもらに「皆さんもいろんな世界について広く興味を持って」と呼びかけた。

 安東さんは植村さんにあこがれ、「日高町に一番近い山岳部だから」と鳥取大学山岳部に入ったことや、冒険中はテントや民家に泊まり、各地の学校を訪れて子どもらに話をするなど、住民と交流を深めたことを話した。

 府中小児童会長の北出朱莉さん(六年)は「自分の手と足だけを頼りに自転車で走破したことに驚きました。私たちも、どんな困難にも負けずに、自分の目標に向かって前進したい」などとお祝いのメッセージを送った。

 授賞式は六月五日、同町祢布の町文化体育館で行われる。児童らは「式で、冒険の話をたくさん聞きたい」と楽しみにしていた。