熱気球による太平洋横断

《企画計画書》
Trans-Pacific Hot Air Balloon Flight Expedition, 2007 Winter

 


 
 
 
日本熱気球飛行技術研究会
 

 

 

 
 Japan Balloon Federation

日本気球連盟所属
 
機長
Pilot in Command: 神田道夫 Michio Kanda

機関士
Flight Engineer: 安東浩正 Hiromasa Andow

 
 


2006年9月作成

 

 

 

 

 

 

 





 熱気球による太平洋横断計画
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はじめに


 今から220年前、人類が初めて大空に挑戦し、成功できたのは熱気球でした。今日、熱気球は昔の飛行原理をそのままに、使用材料が進歩し、再び航空スポーツの道具として人々を魅了しています。
熱気球ほど優雅に大空を楽しめるスポーツは、他に類を見ません。熱気球の用途は自分の楽しみのために飛ぶものや観光目的としての乗り物、競技に参加するものと様々です。世界各国で航空スポーツとして盛んになり、日本でも北海道や九州をはじめ全国25か所で大会や競技会が開催されています。1989年に佐賀市で行われた熱気球世界選手権ではアジアでは初の世界選手権として、世界25カ国から参加選手が出場し、延べ117万人の観客が集まりました。以後の大会でも期間中に70~80万人が見えています。
 また熱気球は、世界の様々な地域でのチャレンジ飛行が行われています。北米はロッキー山脈、南米はアンデス山脈・アジアのヒマラヤ、ドーバー海峡、地中海、大西洋、太平洋、北極等々(あらゆる国々・地域etc)。この熱気球は一体どの位高く、長い時間、そして遠くまで飛んでいけるのでしょうか? 現在の最大クラスの世界記録は、高度:19,811m(通常のジャンボジェット機は11,000m前後を飛行)、時間:50時間38分、距離:7,672Km、というスケールで、パリに本部のあるFAI(国際航空達盟)に公認されています。日本人の記録は神田道夫により作られたAX-7クラスの高度世界記録12,910m、AX-10~14クラスの長距離世界記録2,366.1km(現世界記録)、AX-10~15クラスの滞空時間世界記録50時間38分(現世界記録)です。
 気球の記録飛行のための競技会といったものはありません。理由は、記録を目指し未知を探検するための挑戦になるからです。挑戦者は土地や気象という条件にあった飛行場所(国)を選定したり、使用する機体や機材の製作を行ったり、優秀なスタッフを擶えることとなります。そして、関係国との粘り強い各種の交渉を続ける必要があります。
 気球には動力・推進力や方向舵がなく、LPガスをバーナーで燃焼させ球皮内に熱を送り込み、上昇したり下降したりするという単純な構造です。このため気球で太平洋を横断する飛翔方法としては、冬季に日本上空から太平洋上を東へ向かう恒常気流(ジェット気流)を利用することになります。
 しかしながら、決して従未私たちが考えていたような非現実的なものではありません。気球というものについての知識や、その性能および航空気象学などの科学的知識があればこの内容も理解できます。
大自然の秩序と法則を利用するのも科学の重要な一部です。そして、やるからには成功しなければなりません。安全で成功の確率の高いチャレンジを行うためには、最高のスタッフと組み最新の機器を使います。このようにして、日本人初の気球による太平洋横断を目指します。
 今回の飛行目的は、航空スポーツの可能性を広げることや、日本と北米(カナダ・アメリカ)の人々との新たな交流を図ることとともに、地球環境を考える視点から、アジアから北アメリカまでの太平洋上空を輸送される微粒子の観測を行い、気象学並びに大気環境学の進歩に寄与するものであります。機長 神田道夫


 

 

 

 



熱気球太平洋横断飛行計画書 (概要)

飛行内容: 熱気球による太平洋横断

飛行目的: 
●国内外の航空スポーツの振興と発展に寄与し、日本~北米間の親善交流を図る
●長距離世界記録【7671.91km】更新 ≪現記録:P.LINDSTRAND & Richard BRANSON(英)≫
●滞空時間世界記録【50時間38分】更新 ≪現記録:神田道夫&竹沢広介(日)≫
●日本人初の熱気球による太平洋横断達成 
●偏西風における微粒子の採取及び太平洋上の環境データ観測 (気象庁気象研究所)
                     世界記録は熱気球によるFAI国際航空連盟公認記録です
搭乗員:
●機長(Pilot): 神田道夫 1949年埼玉県生まれ (56歳)
●機関士(Flight Engineer): 安東浩正 1970年広島県生まれ (36歳)
 
実施期間: 2007年1月初旬~2月下旬のうち気象条件のいい日程

離陸予定地: 
栃木県栃木市泉川【永野川緑地公園】

着陸予定地: 
北米大陸中西部(カナダorアメリカ)
 


飛行機体: スターライト 【自作熱気球】

気球容積: 40,000㎥【国際基準AX・15クラス】 現世界最大

搭載機材: 

軽量アルミ製ゴンドラ、酸素供給機能付き特殊バーナー、高度計、昇降計、球皮内温度計、GPS、自記高度記録計、VHF航空無線、トランスポンダ(レーダー反射装置)、航空機用位置表示灯、航空地図、
衛星電話イリジウム、室内灯、大型バッテリー、ELT(人工衛星経由の遭難信号発信機)、酸素ボンベ、水・食料、医療用具、消火器、気象観測装置、携帯型情報端末、機内機外撮影装置一式、特殊防寒防水耐燃衣類、緊急時脱出カプセル(FRP製)、海面漂流時サバイバル装備、厳寒地不時着時サバイバル装備、各国旗

搭載燃料: 液体プロパンガスLPG4000kg(容器別) 燃焼補助用液体酸素    離陸総重量: 5500kg

巡航高度: 海抜7000m~9000m   巡航速度: 時速150km~300km

飛行距離: 8000km~9000km     飛行時間: 60時間前後

気象条件: 離陸時の地上天気が穏やかなこと
日本から北米大陸にかけて風速50m~70mの安定したジェット気流【偏西風】があること


日程表及びルート計画 

04年01月 「天の川2号」で横断初挑戦、太平洋上に不時着水し失敗 (機長:神田道夫、副機長:石川直樹)
05年06月 再挑戦に向けてアメリカ・カナダ飛行計画打ち合わせ
   11月 新作機「スターライト」機体試作完成
   12月 国内航空関係機関・気球関係者との調整
06年01月 「スターライト」係留で初飛行テスト
11月 北米にて確認打ち合わせ
   12月 各装備最終テスト
07年1月~2月 飛行待機、空へ!




 
 世界最大の気球は多くのボランティアのみなさんの協力で縫いあがりました。
 
 

新作スターライト号の初飛行実験。15階建てビルほどの世界最大の気球がついに浮きました!

 

 

 

 

 

 

≪乗組員紹介≫   機長 神田道夫 
 

私が熱気球にはじめて魅せられたのは、1977年。ニュージーランドのクック山越えに挑戦する熱気球のドキュメント番組を見たのがきっかけでした。早速仲間を集めて「埼玉気球クラブ」を結成し、2年後にパイロットの資格を取得しました。
「熱気球の魅力は、好きな場所から自然に身を任せ、のんびりと空の散歩が楽しめる。仲間とわいわいやりながらできるのも自分に会っていたと思います」。その後、富士山越え、アルプス越えなど、次々に冒険飛行に挑戦してきました。そのうち、世界一のエベレストを飛び越えたら、どんなに感動するだろう」という夢をもちました。エベレスト越えを夢見て、ひとつひとつの階段を上がってきました。国内での航空機との調整を図るための試験飛行からはじまり、84年に島根県隠岐島から長野県飯田市まで419Kmの中軽量級長距離世界記録を達成したのをはじめ、88年には12910mの中量級高度世界記録を更新しました。そして90年、念願のエベレスト越えに挑戦しました。しかしこの時は風に恵まれず、ヒマラヤ上空10000㎜の世界初飛行を行ったものの、山越えは断念してしまいました。
その後、中国・韓国・日本の3カ国協力により中国上海近郊から九州熊本まで940kmの東シナ海越え、オーストラリア大陸で2366kmの長距離世界記録飛行、カナダを離陸しアメリカ合衆国に着陸して達成した50時間38分の滞空時間世界記録飛行。そして、2000年秋には西ヒマラヤ最高峰ナンガ・パルバット越えに成功しました。ヒマラヤの大パノラマを眼下に眺望し、素晴らしい感動を味わいました。
熱気球でたくさんの挑戦を続けてきました。それぞれの夢を追いかける中で、いろいろな人に出会って世界が広がるなど、貴重な体験をすることができました。しかし、それも家族や職場、そして多くの関係者の理解と協力があれぱこそという思いを、一時も忘れてはいません。
今回、熱気球による太平洋横断飛行については、これまで培ってきた国内や海外の仲間達の全面的な協力を得て、高度・洋上・長距離・滞空時間・夜間飛行といった技術や経験を駆使し、実現に向かって進めていきます。広大な外洋を無着陸で飛行するというこの行動を通じて、熱気球というものの可能性を広げ、日本と北米の人々との新たな親善交流の姿になればと思っています。
人は誰も、子どものころに大きな夢を持つていました。現実を見据えたものから、文字どおり夢の夢まで…。子どもの時に見た夢の多くは、年齢を重ねるごとに忘れられてしまいます。しかし、そんな気持ちを持ち続け、自らの夢の実現に向かってひたすら邁進する人もいるのです。このようなことが伝えられれば嬉しいです。
 
  
神田道夫の略歴
 
1949年12月  誕生
1977年6月  埼玉気球クラブ結成
1979年2月  熱気球パイロット免許取得
1979年7月  熱気球による富士山越え飛行
1980年5月  熱気球による日本初の北アルプス越え飛行
1983年2月  熱気球による日本初の本州横断飛行飛行距離303Km
(石川県金沢市から栃木県小川町まで飛行)
1984年2月  熱気球中軽量級の長距離世界記録を達成419Km
(島根県隠岐島から長野県飯田市まで飛行)
1986年11月  熱気球中軽量級の高度日本記録を達成9,560㎜
1988年11月  4回目の挑戦で熟気球中量級の高度世界記録を達成12,910m
=1回目挑戦87年11月、2回目挑戦88年3月、3回目挑戦88年11月=
1990年5月  熱気球による世界最高峰工ベレスト山越えに挑戦
(ヒマラヤ上空1万mを世界初飛行、エベレスト山越えは断念)
1993年2月  熟気球による東シナ海越えに成功、飛行距離940km
(中国上海近くの江蘇省如東県から熊本県産山村まで飛行)
1994年6月  熱気球中重量級の長距離世界記録を達成2,366.1Km
(オーストラリア西オーストラリア州ムレワから南オーストラリア州フローム・ダウンまで飛行)
1997年2月  4回目の挑戦で熱気球中重量級の滞空時間世界記録を達成
50時間38分(カナダアルバータ州カルガリーからアメリカ合衆国モンタナ州ジョーダンまで飛行)
=1回目挑戦96年1月、2回目挑戦96年4月、3回目挑戦97年1月=
1998年9月  熟気球によるK2山越えに挑戦、気象条件により飛行を断念
2000年10月  熱気球による西ヒマラヤ最高峰、ナンガ・パルバット山越えに成功
2004年1月  日本人初の熱気球による太平洋横断に挑戦
 
 
受賞歴
日本気球連盟=イカロス賞(1984・1989・1995・1998年)
(財)日本航空協会=航空スポーツ賞(1984・1989・1995・1998年)
国際航空連盟=モンゴルフイエ・ディプロマ賞(1989年)
カナダ、カルガリー市民栄誉賞(1997年)
国際航空連盟=ポール・テイサンデイェ・デイプロマ賞(1998年)
第5回植村直已冒険賞(2001年)
 
 
 
 
 
 
 
 機関士 安東浩正 Hiromasa Andow
 
 熱気球、優雅に大空を散歩しているイメージとは大違いで、操縦してみるとめちゃくちゃ不自由な乗り物だとわかります。風向き次第で行きたいところになかなか行けないのですから。着陸したい広場がすぐ隣にあるのに、風はこちらの意思と関係なく他のところへ吹いてゆく・・・。飛行機ならそちらに寄せることは訳ないはずなのに。
 これまで世界をあちこち探検してきました。高校生の時に、植村直己さんの映画や書籍に触発され、大学で山岳部に入りました。登山に飽き足らず、世界中の人々や自然に出会う手段として、より広い範囲を移動できる自転車で、チベットなどのまだ探検的要素の残された厳しい荒野の中へと、冬季に横断や縦断を達成してきました。厳冬期のシベリア単独自転車横断に成功したとき、第8回植村直己冒険賞を頂きました。この世界に入ったきっかけとなった植村さんの名を課した賞を頂いたことがうれしくないはずがありません。さらに自分の世界を広げるため、バックカントリースキーで北極圏を旅し、川をカヤックで漕ぎ進み、洞窟探検で地底深くにもぐるなど、陸水空地底と動き回っています。しかし子供のころの自分にとって、未知なる領域への最大の関心は、「空」だったのです。
 飛行機に初めて乗ったのは高校三年の時。受験生だった私の第一志望は航空自衛隊航空学生、倍率百倍の難関でした。数学の得意な理系の私は、一次試験の学科を突破。二次試験の身体検査は視力テストだけで5~6種類、ケツの穴まで調べられる厳格なるテストもクリア。最終テストは飛行機を教官と共に実際に操縦するという試験でした。旅客機にも乗ったことのなかった私が、操縦者として初めて空へ挑んだのです。
 滑走路上で離陸態勢に入った機体が加速すると、すっと地面を離れる。航空力学は知っていても、見えない空気に持ち上げられてゆく自分が不思議でした。上昇を続け、ふいに雲の上に出る。雲、雲、雲!下一面に真っ白な絨毯が地平線の彼方まで続いている。宙返りをすると、世界はくるりと回転し、下から上へ太陽光線がまぶしく照りつけ、雲の絨毯に機影が写る。空の上には自由がありました。それは高く険しい冬の雪山を登攀し、稜線に立ったときに雲海を見下ろす時の感覚にも似ていました。
 結局大学に進学し機械工学科で流体力学など勉強しましたが、夢は忘れず4年前に自家用航空機の飛行訓練に渡米したこともあります。今回の横断計画では、航空機にある程度の知識があり、GPSなどの電子機器を使いこなし、気象データを理解し、アメリカに近づけば英語で管制するなど、パイロットというよりフライトエンジニアといった役割を私は担うでしょう。とはいっても気球の操縦も交代で行うので飛行訓練も必要です。不便な乗り物だけに奥も深い。太平洋横断はともかく、空を飛ぶ事そのものがなかなか楽しい。
 後発なだけに勉強することはたくさんあります。気球は大自然を相手にする乗り物です。ゆえにいかなる状況にも対応できる適応力、危機を乗り越える忍耐力や判断力、窮地に負けない精神力を必要とするでしょう。風を予測し自然と対話する能力も必要でしょう。目的に向かってがむしゃらに取り組むことのおもしろさ、不可能はいつか可能になる、ということを「冒険」はまた我々に教えてくれるでしょう。
 

 

安東浩正の略歴
 
1970年広島県生まれの瀬戸内っ子。
機械工学士(鳥取大学機械工学科)。植村直己に憧れて山岳部に入部、ここに流浪の人生始まる。
日本の大学卒業後、山岳少数民族への興味から中国雲南大学に留学。帰国後、飛行機のラジオコントロール模型などを扱う貿易商社勤務にて海外営業、海外生産管理、三角貿易などで世界中を飛び回り、現在は極地探検などパイオニア系のアウトドア活動に専念。自転車雑誌「サイクルスポーツ」に海外ツーリングの連載を続けるなど、アウトドア系の雑誌での作家としての活動のほか、教育関係などでの講演やイベント、NHK「トップランナー」などTVやラジオ出演や、登山や辺境の地へのツアーガイドとしても活躍。写真も好きで、札幌や藤沢で写真展を開催。使用言語:日本語、英語、中国語、ロシア語。マニア級の飛行機好き。長女5歳。
著書: チベットの白き道 (山と渓谷社)、 荒野的軸心(台湾商智出版)など
第8回植村直己冒険賞(2004年)受賞
 
JACC日本国際自転車交流協会関東地区評議員、鳥取大学山岳部OB
中国雲南省昆明登山旅遊探検協会、横断山脈研究会、地平線会議
東京スペレオクラブ(洞窟探検)、日本気球連盟
ウェブサイト「ヒマラヤンサイクリスト」    http://www.tim.hi-ho.ne.jp/andow/
 
冒険略歴 (おもに海外での活動をあげてみました)
1988年      鳥取大学で山岳部に入部 日本Alps・鳥取大山(だいせん)を中心に活動
1989年      1992年 ユーラシア大陸一周旅行 自転車等で9ヶ月
1990年      1994∼95 年 中国雲南省雲南大学留学 語学・山岳少数民族研究など
1995年1∼3月 冬季中央・東チベット単独自転車走破 カトマンズ~ラサ~昆明
1995年10月 中国雲南省:哈巴雪山(5,190m)初登 昆明登山旅遊探検協会隊
1995年11∼12月 冬季西チベット単独自転車走破 カシュガル~カイラス~カトマンズ
1996年1∼3月 ネパール~インド自転車旅行 カトマンズ~ベンガル湾
1998年7月 チベット高原:黄河源流自転車旅行
1999年9月 インドヒマラヤ:ガンジス河源流自転車旅行
2000年2月 中国雲南省:梅里雪山調査 鳥取大学山岳部
2001年10月 チベット高原:吐藩古道自転車旅行 ジュクンド~ラサ
2002年1∼2月  冬季アラスカ自転車縦断 
2002年4∼6月  北極海から北米最高峰へ:マッキンリー峰(6190m)登頂 自転車・登山複合
2002年8月∼翌6月 冬季シベリア横断自転車単独完全走破
2004年4月∼5月 極北カナダ・バフィン島 スキー600km
2004年12月∼翌6月 冬季極東シベリア縦断自転車ツーリング
(訪問国) Japan, China, Tibet, Mongol, Korea, Thai, Malaysia, Indonesia, Singapore, India, Pakistan, Iran, Turkey, Greece,
Burgaria, Germany, France, Romania, Hungary, Czech, Poland, Russia, USA, Canada

 


  
 

 

 

 

 

 

 

 みなさんの素朴な疑問にお答えします! FAQ Frequent Asked Question?
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装備についてFAQ 
 

Q: 今回のために作られたスターライト号はどれくらい大きいのですか?
A: 高さで50メートル、15階建てのビルに相当します。直径は45メートル。熱気球としては世界歴代2番目の大きさで、現存するものとして世界最大。巨大なゴンドラをぶら下げた場合、100人以上が乗り込むことが出来ます。普通の熱気球の容積の20倍の大きさです。日本中の夢を乗せて飛ぶのに十分な大きさがあります。
 
Q: それほど大きな気球を作ったのはなぜですか?
A: 太平洋を横断するには、無着陸飛行距離の世界記録も狙うほどの長距離となります。それだけ大量の燃料を運ばなければなりません。総重量で6トンもの重量のうち4トンが燃料のプロパンガスなのです。この重量を一気に8000m以上の高度に上昇させる浮力を得る計算の結果、この大きさがはじき出されました。
 
Q: 大きさ以外にも特徴はありますか?
A: 通常の球皮(気球本体)はコーティングを施し通気性の低いナイロン生地の一重構造ですが、超低温下での長時間飛行となるために、球皮内の保温性を増して燃費をよくするために、内側にさらにアルミ蒸着のポリエステル生地の球皮が入っている二重構造となっています。
 
Q: 気球が黒いのはなぜですか?
A: 太陽の熱エネルギーをできるだけ吸収(ソーラー効果)して気球内の空気を温めるためです。プロパンガスで主に気球内の空気を温めるとはいえ、太陽熱も補助的に活用します。気球には熱気球とガス気球の二種類が主流ですが、他にもソーラー気球という太陽熱だけで飛ぶものもあるほど、ソーラー効果は大きいのです。
 
Q: 自作機とは、どのようにして作ったのですか?
コンピュータで計算されたサイズにそって生地を裁断し、多くのボランティアの人たちの協力で、連日のミシンがけの末に縫い上げられました。人々の協力なしにはとても作成できるものではありませんでした。またこれだけの気球を膨らますだけで数十人ものスタッフが必要であり、多くの空好きの仲間の協力とみんなの夢を乗せて飛行します。欧米では気球は立派な航空機として扱われています。国産の航空機としては初の太平洋無着陸横断を目指すことにもなります。
 
Q: どのようなことを考慮して作られましたか?
素材が軽いほど機体に負荷をかけずに(球皮内温度を上げずに)高く、遠く、長時間飛ぶことが出来ます。装備をできるだけ軽くする必要があり、球皮のナイロンの厚さなども適度な薄いものを使用し、ゴンドラもプロパンガスを入れるシリンダーも軽量なアルミニウムで作成、必要な強度と軽さのせめぎあいで設計されています。また耐寒性能、低気圧、低酸素といったあらゆる過酷な自然状況に対応するため、バーナーやホースのパッキンなど、細かい部品一点一点検討され、必要であれば特殊なものを使用します。
 

 

気象についてFAQ


Q: なぜ冬に8000m以上の高いところを飛行するのですか?
A: 気球は風まかせです。日本からアメリカに向かって強烈な風が吹いていないと到達できません。時速200km近くの強風が西から東に吹くジェット気流を利用します。この風は冬季の間に高度8000m~12000mの間でもっとも強く吹いているからです。
 
Q: 時速200kmで飛行するとすごい勢いではないですか?
A: この速度はあくまで地表面に対しての速度です。気球は200kmで吹いている風の中を、風と一緒に動いていますので、じつは気球の周りの空気の流れはほとんど静止していて静かなのです。
 
Q: ジェット気流についてもう少し詳しく
A: 偏西風とも呼ばれ、地球が西から東に自転するために生じる風です。太平洋横断のためには日本は最も適した出発地点であり、過去の横断もすべて日本から飛び立っています。しかしジェット気流は蛇行して流れていることが多く、北極の方に曲がって吹いたり、ハワイの方に南下したり、太平洋半ばにして風速がなくなったりと、かなり変則的で、アメリカ大陸に向かって一直線に向かって強く吹く風は、冬場でも年に1・2回しかありません。気象予報が勝負の分かれ目となります。ジェット気流がもっとも強くなる1月から2月にかけて、いつでも飛べるようにスタンバイ状態に入ります。
 
Q: エベレストより高いところですが大丈夫ですか?
A: 高度9000mでは気圧が低く、酸素は地上の3分の1しかありません。人間はそのままでは生きてゆくことができず、酸素をボンベでずっと吸い続けることになります。交代で仮眠するときも酸素を吸い続けます。気圧も低く人体に影響します。超高空を飛ぶ航空機や高所ヒマラヤ登山の知識による高所順応も必要です。人体だけでなくガスバーナーも酸素が薄いと燃焼がうまくいかなくなるため、酸素供給装置が取り付けられています。
 
Q: 冬にそんな高い所まで上昇すると寒いのではないですか?
A: 外気温は零下50度以下まで下がります。ゴンドラに乗る操縦士は外気にむき出しのままですので、それなりの防寒装備を装着しています。ただ頭上でガスバーナーが炊かれていますので、ゴンドラ内では比較的気温は高く、零下20度~30度程度になるでしょう。
 
Q: どのような防寒装備ですか?
衣類等は極地での探検活動に使われるような防寒性能が必要ですが、北方の凍える海上に着水し、脱出カプセルに万一浸水してきて衣類が濡れても保温性を失わず、ライフジャケットのように海に浮く必要もあります。バーナーで火を扱うため耐燃性も素材に要求され、特別に作成します。また足先や手先が特に冷たくなるので、汗が蒸発するときに熱を奪われないようにサウナ効果のある防湿素材のブーツやミトンのシステムをつくります。また飛行中は低体温症を防ぐために必要以上に水分を取り、低温化でも凍らないカロリーメイトや、シベリアなどの厳寒地でもよく食べられている動物性のラードなど、カロリーの非常に高いものを持っていきます。
 

Q: どのようにジェット気流の風向きを予測するのですか?
A: アメリカ海洋大気圏局NOAA (National Oceanic and Atmospheric Administration)は、地球環境観測の草分け的存在です。NOAAによってすでに20機近くの海洋気象衛星ノアが打ち上げられ、気象観測のみならず、作物の出来具合や火山の監視、海水温の測定など地表のあらゆる変化を観察しています。このNOAAに最新の気象データをオンタイムで利用した、ジェット気流の動きを予測するプログラムを提供してもらいます。飛行スタンバイのまま待機し、日本から北米に向けて最適な風が吹く日時を、2~3日前に予報します。またノア衛星は海難救助信号を受信して、地上レスキューセンターに位置を知らせる機能も持っています。
 
Q: 目的にある環境データ観測とはどのようなものですか?
A: 気象庁気象研究所の「大気中の微粒子(エアロゾル粒子)の組成とその変化に関する研究」における「アジアからアメリカまでの太平洋上空を輸送される微粒子の観測」というプロジェクトに協力します。
エアロゾル粒子は太陽光を散乱・吸収したり、粒子が粒核となり雲を形成し太陽光を宇宙に反射して地球温暖化を抑制する効果があります。しかしその粒子の特性は充分に解明されておらず、温暖化の正確な予測の上で障害になっています。中国からの黄砂のように、微粒子は大気の流れで長距離輸送され、特に冬期は強い偏西風で地球規模に拡散、その最中に化学反応などで粒子組成の変化が起ると考えられます。しかしジェット気流内での観測はほとんど実施されておらず、気球だからできるサンプリングとなります。搭乗者はゴンドラから100m下に装置を吊るし、大気中の粒子を定期的に採集します。試料は帰国後に電子顕微鏡により分析され、気象学並びに大気環境学的に極めて新しい結果が得られることが期待されます。
 
 

冒険についてFAQ
 

Q: 太平洋横断は世界初ですか?
A: 熱気球による太平洋横断は1991年2月 にイギリスのバージングループ社長のリチャード・ブランソンと気球設計者バーリンド・ストランドにより達成されています。数億円をかけて作られた人工衛星のような気密ゴンドラの中では、Tシャツですごせるという快適さでした。我々の挑戦は世界で2番目の成功を狙います。
一方、ヘリウムの巨大風船であるガス気球による太平洋初横断は、1981年11月にロッキー青木氏ら4人の乗ったダブルイーグル号によって達成されています。ジュール・ベルヌの描いた「80日間世界一周」での気球もガス気球であり、燃料を運ばなくて済むだけ長距離に適しています。熱気球は多くの燃料を運ぶために太平洋横断には気球そのものを巨大化させる必要があり、こまめなバーナー操作で球皮内温度をコントロールするなど、操作系統にもガス気球とは大きな違いがあり、同じ気球でもまったく別のものです。
 
Q: 神田さんは以前にも太平洋にチャレンジしていますね
A: 2004年1月に挑戦しましたが、雪雲に捕まり8000mの高度への上昇に予定以上の燃料を使ったため、燃料不足から北米には到達不可と判断し降下、宮城県沖1600kmに不時着水しました。付近を航行中のコンテナ船に回収救出していただき、その船の名をとって今回の気球には「スターライト」と名づけました。今回新たに作成された気球は前回の2.5倍の大きさで、球皮の材料やバーナーのパワーアップなど技術的にも多くの改良が施されています。
 

Q: 目的にある国際交流とはどのようなことですか?
A: あらゆるスポーツは世界の人々の心をひとつにすることに貢献してきました。国と国をまたいで行われる今回のような国際的な計画では、成功の暁にはメディア等を通して日米双方に報道され、フロンティア・スピリッツにあふれる北米では、サムライが空から降ってきたと反響は大きいでしょう。この計画は日米カナダの多くの気球仲間やボランティアの協力なくしては達成できません。国境を越えた国際プロジェクトであり、両国の人々の夢で膨らんだ気球は、空という舞台に両大陸に大きな架け橋を渡します。それは日本とアメリカやカナダは海を挟んだ隣国であることを、お互いに再認識させてくれるでしょう。両国の人々の夢をさらに膨らませます。
 
Q: 太平洋戦争の時に、アメリカ本土空爆のために風船爆弾が日本から飛ばされました。
A: 終戦間際1944年~45年冬に約9000発の爆弾が茨城県の海岸から放たれました。そのうち一割は到達していると予測され、約350個が北米で確認され、ピクニックに来ていた子供たちが不発弾に触れて6人死亡する人身事故もおきました。北米到達の暁には、オレゴン州にある慰霊碑を訪問する予定です。原爆、地雷、最近ではテポドンなど、爆弾という無差別兵器への悲しみの教訓メッセージを運びます。
 
Q: 緊急事態が発生したら?
A: 太平洋横断が普通の長距離フライトと違うところは、下が地面でなく海であることです。非常事態や天候悪化でも地表に降りることができません。そこで万全を期して挑戦しなければならないのですが、万が一落ちたときのことも考慮する必要があります。小さなFRP製の脱出カプセルは救命ボートの役割を果たし、海上におちて長時間漂流したとき用に釣り道具も搭載します。また地上でもアラスカや極北カナダの無人の雪原や、ロッキー山脈中に不時着する可能性も考え、厳寒地用のサバイバル用品もつんでいます。万一に備え、GPSや衛星電話、緊急信号発信機で人工衛星を使って不時着水位置を知らせる救助態勢も整えます。
 
Q: 冒険なんて危険ではありませんか?
A: アドベンチャーとは危険を冒すことが目的ではありません。無謀と挑戦は違うものであり、目標を達成するためのチャレンジを言います。こういった挑戦には未知なる探検的な部分も多く、行動そのものに実験的な要素が付きまといます。そのリスクを承知で未知の領域を開拓し、海へ新大陸へ空へそして宇宙へと人類は活動の範囲を広げてきました。コロンブスもライト兄弟もガガーリンも、腹が減って否応なしに新世界に挑んだわけではないでしょう。いつの時代も好奇心が人類の舞台を広げ、未来を作ってきました。一見ばかげていて不可能に思えること、だががんばればできそうなことに夢をかける、その行為こそ探検であり冒険です。夢にはそれを目指す冒険心が必要です。階段は登るためにあって、見上げるだけでは意味がありません。宝物はいつも日常を越えた荒野の向こうにあり、そこはちょっと甘くて危険なロマンの香りが漂います。それなりの覚悟が必要ですが、リスクのない冒険はありません。勇気ある者だけに、階段を登る資格が与えられ、そしてその宝が何であるかは、たどり着いて初めて分かるでしょう。極寒、薄い空気、乱気流、悪天候、孤独、絶対的空間、9000kmもの長距離・・・。航空機と違い気球飛行は、もはや人類のコントロールの効かない風という地球環境に身を任せる、神々の領域への挑戦です。宇宙に近い極限状況の中で、人類の可能性を追求してきます。

 
何のために生まれて、何をして生きるのか。さあ、それを見出す旅に、出発です!
 


 

  上記は一般的な熱気球での説明です。スターライト号は普通の気球の20倍の容積、球皮の重さが約1000kg、全重量は5500kg、広げるだけでクレーンや数十人の協力が必要です。

 

 

 

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