極東シベリア
冬季自転車縦断ツーリング
《企画計画書》
Fareast-Siberia Bike Expedition,
2005 Winter
Russia
Japan
International Friendship 日本国際自転車交流協会
JACC日本国際自転車交流協会
安東浩正 Hiromasa Andow
Сибирский
Велосипедист
極限の荒野に
新たな出会いを求めて旅を続けてきた
どこまでも続く空の向こうに
心を補填してくれる何かを探してきた
果てしのない旅が終わるかに思われたとき
シベリアの横断なんて表面的なことより
自分自身を旅していたことに気づくだろう
探し物は、可能性と限界と情熱
たとえシベリアに端っこが訪れようとも
心の旅は終わらない!
サイクルスポーツ誌「遥かなる白き道」
安東著連載最終回より
1. 計画趣旨
昨年にかけて敢行された冬季シベリア単独自転車横断の記録は、多くの反響を日本とロシアに残すことができ、また今年の第八回植村直己冒険賞というこれ以上はない栄誉もいただきました。当初は可能かどうかも不明瞭であった計画も、横断を成し遂げてオホーツク海へ到着することができたのですが、ゴール地点に立っても、シベリアの深い森の奥へとさらに道は続いているように思われました。
今回の挑戦は、前回の終着点をさらに深く掘り下げ、極東シベリア最東端ベーリング海峡までたどり着けないか?というものです。ユーラシア東端のチュコト半島を冬季に横断し、北米アラスカと対峙するその海峡に至ることによって、前回のシベリア横断物語をより完璧なものにすることができます。それは技術的には前回を遥かに越える困難さが待ち受けていることでしょう。
人の定住する土地としては世界で最も寒い領域、極東シベリア。シベリアは西から東へ、南から北に向かうにつれて、より人口密度も低く、自然環境は厳しいものとなってゆき、謎も深まってゆきます。前回零下40度で音をあげていた甘えも許されず、今回は氷点下50度はあたりまえとして、60度も覚悟しなければなりません。
チュコト半島にもオホーツク海沿岸にも、いわゆる自動車道路というものはほとんど存在しません。しかし冬になると凍土の上や凍結した川の上にトラックの走る冬道が現れるようです。前回のシベリア横断時にも、そういった冬道を一部走ったのですが、同様の道がベーリング海峡まで恐らくあるのではないか、と思われます。地図には載っていない道であり、たどり着ける保証などありません。スキーであれば道がなくても進めるので可能でしょうが、自転車の場合はこの冬道があるかどうかにかかっています。
正直言って最北東端まですべて自転車で行ける可能性は低いでしょう。前回のシベリア全体の横断時のように世間受けするわかりやすさはないかもしれませんが、難題が多数あり、前回に増して未知なる領域のレベルの高い旅となりそうです。あまり終着点にはこだわらず、それよりも走り続けることのほうが重要であると思います。自転車で押し通したいものですが、途中でスキーに変更するなど柔軟性を持って無理をせず、いつものように「行けるところまで行ってみよう」という基本方針で、自分の可能性を徐々にステップアップさせて進んでゆこうと思います。
この冬、安東は禁断の領域へ、不可能と思われた世界へと挑戦します。シベリアに決着をつけるため、また出かけてゆくことにいたします。
2.行動者プロフィール:
●安東 浩正 Hiromasa Andow 血液型RH/AB+ 1970/1/23生
JACC日本国際自転車交流協会評議委員, 鳥取大学山岳部OB、中国雲南省昆明登山旅遊探検協会
経歴など: 著書「チベットの白き道」 山と渓谷社 1999年
著書「荒野的軸心」商智出版(台湾)2001年
雑誌連載「サイクルスポーツ」2003〜2004年 その他共著、雑誌、新聞などに記事執筆
第8回植村直己冒険賞受賞(2004年)
NHKTV番組トップランナー(2004年7月)など、ラジオTV出演
出身 広島県福山市 www.tim.hi-ho.ne.jp/andow
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3. 目的 (Purpose)
● シベリアの旅を冬季完全横断で完結する(環オホーツクルートの探求、チュコト半島を横断しユーラシア最東端に自転車で達する)
● 自己の限界への挑戦(超寒冷地で長期野外滞在の可能性、そのための新装備の実践、寒冷地での自転車走行技術、人間の可能性)
● 草の根レベルの国際交流、極東シベリアの素顔を見聞する(少数民族とその文化、現地学校訪問、地理、自然、動物などの博物、環境の実態など)
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4. 期間及び場所 (Time & Place)
●期間 2004年12月〜2005年5月 約半年
Duration of time: From December 2004 To May 2005
● 場所 ロシア連邦極東地域(シベリア)
サハ共和国、チュコト自治管区、ハバロフスク州
Russian Federation FarEast Region (SIBERIA),
Saha Republic, Chukot, Habarovsk
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5.日程表及びルート計画
ルートの選定について
ユーラシア大陸最東端であるベーリング海峡をめざすにあたり、日本の近くサハリンかウラジオストックから始めることによって、より日本とシベリア辺境の地との繋がりを感じる旅にしたいと考えています。今回のルート上は、ほとんど正式な道はなく、冬道をさぐりながらの旅となるので、現時点ではルートの可能性のみ記します。
日本からロシアへ
12月16日に
船で北海道の稚内からサハリンに渡り、自転車で北上、1月には凍結する間宮海峡の海氷の上を通って大陸に渡るルートです。
オホーツク海にそって北上
オホーツク海には航路があっても、海沿いには正式な道はありませんが、どうやら冬になると道があるらしいといううわさを、前回ウラジオストックで聞きました。その道をたどってかつてのこの地域の中心だったオホーツクの町を目指します。オホーツク海は日本にとっても重要な海であるにもかかわらず、そのロシア側の沿海地域の情報はほぼないようです。冬であれば陸路をたどることのできる可能性があります。またオホーツク市は江戸時代の漂流民、大黒屋光太夫の滞在した町としても知られています。
サハ共和国オイミヤコン地区
前回の旅においてヤクート族のサハ共和国では大変に歓迎され有意義な訪問となりました。サハ共和国は世界一寒い国です。中でもオイミヤコン地区は人の住む所としては観測史上での最低温度を記録(−71.8℃/1938年)したことがあります。前回この地域を訪れたのは4月に入ってからであり、それほど寒いものではありませんでした。今回ここを真冬に訪れることになると、大変な旅となるでしょう。
前回サハでは幾つもの小学校を訪れる機会がありました。再訪できるのが楽しみです。
北極海沿岸へ
北極海へ抜ける冬道があるようです。前回サハ共和国で手に入れた地図に載っている冬道もありますが、信用できません。その地図にはないですが、凍結したコリマ川の上にも冬道がある可能性を前回訪問時に聞きましたが、詳細は不明です。
北極圏の真下を通過します。夜は長い極夜となり人もほとんど住んでいないでしょう。北極海の近くでは木の生えていないツンドラ地帯となり、寒さに加えて風も強く体感温度はさらに下がることになるでしょう。極夜にオーロラが舞うかもしれません。マンモスの牙が道端に落ちているかもしれません!シベリア最少数の民族ユカギリやトナカイ放牧民のチュコチ族など、前回出会っていない少数民族との出会いも楽しみです。
あるいは前回の終点であるマガダンから、カムチャッカ半島の付け根部分を経由してチュコト半島に入るルートもあり、それはグレートジャーニーの関野吉晴氏が犬ぞりや馬で通過したところで、情報もありスキーであれば安東の実力であれば可能性ありですが、自転車では難しいかもしれません。
チュコト自治管区
謎の多い地域です。中央の山岳地域や北極海沿岸部は空白地帯といえます。冬道があるかどうか不明。現地に行かないとわからないでしょう。
ベーリング海峡デジネフ岬へ
ユーラシア大陸の最東端です。シロクマが最も心配です。はたして本当に自転車で行けるでしょうか?乞うご期待。
≪参考までに日程のあらまし≫
2004年
12月中旬 サハリン南端出発: 稚内より船でサハリン・コルサコフ港へ
2005年
1月初旬 大陸へ:サハリンを縦断し凍結した間宮海峡を通過
2月初旬 オホーツクへ:オホーツク海岸沿いの冬道
2月下旬 世界最寒のオイミヤコン村:内陸部の冬道、前回の訪問地
3月下旬 チェルスキーへ:内陸部、コリマ河の冬道
4月下旬 北極海沿岸ペベック
5月末 ベーリング海峡先端デジニョフ岬:北極海海岸線にそって
6.現地での課題
≪最重要課題≫
●寒さや風に関する対応
●ルートに関する対応
●食料に関する対応
●モチベーションの維持
≪その他付属の課題≫
●自転車での国際交流
JACC国際自転車交流協会の目的は、ただ自転車で見知らぬ国を走るだけでなく、旅行する中で出会う現地の人との自然なふれあいの中から生じるお互いの交流を大切にする、その走る行為が草の根レベル的な国際交流になると考えています。日本人をはじめて見るような現地の人たちは、よその国から来た旅行者を見て、その国を判断するかもしれません。それぞれのサイクリストは日本を代表した小さな大使のようなものです。その自覚を持って交流することにより、本当の相互理解につながります。村々の小学校でのお話会、メディアへの登場、なにより地元民とのふれあいにより、直接ロシアと日本との友好に貢献できると思います。シベリアを横断しているときも現地で学校を幾つも訪れて子供たちを前に話をする機会がありました。日本の話などにみんな目をキラキラ輝かせて聞いてました。地図にはない本当のロシアを見てきます。
また、前回訪れた小学校を再訪する機会がありそうなので、日本の小学生のメッセージのようなものを伝えられないか、と考えています。
●未知なる領域へ
ルートそのものが未知なるところが多く面白いと思います。シベリアのオホーツクの海岸線沿いについては恐らく本邦初公開ではと思います。極東シベリアも紹介されたことがあるのはまだまだ一部だと思います。冬道の実態について詳しく知っている人は日本にはいないでしょう。未知なるものへの興味が膨らみます。
●環境と自転車
地球温暖化の影響は極地であるほど深刻であるといわれています。シベリアのツンドラ地帯も大きく変化しつつある聞いています。資源を浪費しつくしている我々先進国の人間が「環境」という言葉を口にすることは、大変危険なことではありますが、やはり大自然の中で活動する者にとって、これは大変興味ある課題です。具体的に調査をする予定はありませんが、少なくとも世界の環境汚染やテロリズムの元凶といえる化石燃料に頼らない自転車という手段で旅行することによって、極地の自然環境の実態が見えてくるのではないかと思います。その他、いろいろなジャンルでの見聞も広めてきます。
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7.装備
極度に低温な世界での行動となり。夜間では零下60度に対応するキャンプ用品、走行時でも零下45度以下に耐えられる必要あり。また吹雪も予測され、すべての装備品について極地用の仕様が求められます。装備は極限まで軽量化し、むだなものは一切持っていきません。装備への対応は今までの寒冷地走破の経験から得てきたものを応用しつつ、特殊装備を考案しています。
●自転車装備
寒冷地仕様26インチMTB(マウンテンバイク)、ツーリング用具、予備パーツ一式
主改造点: 幅広リム&耐寒ゴムスパイクタイヤ、防寒フード、リジッドフォーク、特殊キャリア、耐寒グリース、カンチブレーキ化、さらなる軽量化
●極地用装備
厳冬季登山用防寒衣類一式、重羽毛服、重防寒靴、厳冬季用羽毛寝袋、極地用キャンプ用品一式、二重テント、ガソリンストーブ等、VBLすべての衣類の完全防湿化
VBLとはVaporBarrierLiner(防湿層)のことであり、零下60度を生き抜くための装備として最大のポイントとなります。前回寝袋やダウンジャケットなどが自分の出す湿気で凍ってしまいましたが、VBLはそれを防ぐためのアイデアです。モンベルの企画部と共同で開発中です。
●その他の装備
一眼レフカメラ、リバーサルフィルム、GPS、気象観測機器、携帯型情報端末、コンパクトデジタルカメラ
●食糧
すべて現地調達。なんでも食べられることが旅の必須条件。
8.キーワード ランダムメモ
●極北極東シベリアについて
ユーラシア大陸上部の広大な面積を占めるシベリアですが、その中でも北部極東シベリアは永久凍土に覆われていて特に寒い地域です。一般的に極東シベリアと呼ばれるのは、バイカル湖より東を意味します。同じ極東シベリアでもウラジオストックやハバロフスクなどのアムール川流域は、まだ比較的気候も穏やかでしょうが、北部に行くほど人も少なくなります。ひとことにシベリアと呼ばれる中で、もっとも過酷な地域です。
●前回のシベリア横断について
2002年9月にヨーロッパロシアの最西北端、北極海沿岸のムールマンスクを出発、サンクトペテルブルグ、モスクワを経てウラル山脈を越え、凍結したバイカル湖やレナ川を通って2003年5月にオホーツク海沿岸のマガダンに到着しました。14927km、248日間の旅。詳細は報告書をご覧ください。
●極東シベリアにおける探検冒険の歴史
《現代の探検冒険》
ゴルバチョフのペレストロイカ以降、日本からのTV局や永久凍土やマンモスの学者などが、極東シベリアに入り、とくにNHK特集の「北極圏」は斬新な取材が重ねられた番組でした。資料として大変参考になりますが、ヘリや飛行機での移動で点を取材しているものであり、移動という線の冒険旅行のルートの追及をする活動とは異なるものといえるでしょう。
探検冒険としての活動の記録は関野吉晴氏のグレートジャーニーで極東シベリアを越えた記録が、世界でもずば抜けたものでしょう。氏は記録を幅広く発表しており、この謎の領域に灯火を加えており、多少なりとも極東シベリアの実情が見えています。氏には前回の横断時に出かける前にもアドバイスをいただきました。現在は「グレートジャーニージャパン」を進行中で、シベリアから日本に向かっており、ちょうどサハリンあたりでお会いすることになるかもしれません。
1994年の国際環境使節団シベリア横断犬ぞり隊に日本人隊員として参加した野崎勲氏(毎日新聞)の遠征は、最東端まではたどり着けなかったのですが、著書「TheDaysOfNorth」からも極東シベリアの現状が見えてきます。毎日新聞における安東のシベリア横断の記事は氏によるものであり、お世話になっております。
犬ぞりの第一人者の小嶋一男氏が極東シベリアの北極海沿岸を数年前に犬ぞりで挑んでいます。詳細はまだわからないのですが、調べているところです。
日本人の冒険探検活動は以上でしょう。すべて犬ぞりです。安東は人力にこだわっています。この冬デンマーク人の冒険家もスキーで単独でベーリング海峡を目指しています。
《過去の探検冒険》
大黒屋光太夫 オホーツク海沿岸のオホーツク市から、寒極オイミヤコン村へ向かうルートは200年前に光太夫が通過したルートと重なります。前回横断時にオイミヤコン〜サンクトペテルブルグ間は、光太夫の通ったルートを走ったので、これで光太夫の横断の行程をすべて自力だけで走行できたことになるでしょう。
間宮林蔵 同じく江戸時代後期、樺太が大陸か島なのか世界地理上の謎に決着をつけ、間宮海峡を越えて大陸に踏み込んだ林蔵の足跡もたどります。
●厳冬期であることについて
シベリア寒気団の名で知られるとおりの極寒の地。極端な大陸性気候のため、南極大陸をのぞいては世界で最も寒い土地。今回の旅でも零下60度でキャンプを続ける特殊技術が必要。日照時間は短く、ツンドラでは身を引き裂くほどの強風にブリザードが吹き荒れ、ルートファインディングのためにナビゲーション技術も必要とし、雪が多いと自転車を担がねばなりません。およそ考ええるありとあらゆる困難があり、ロクなことがなさそうです。それでも挑むのは、厳しさの中に見えてくる「何か」があるからなのでしょう。その答えは行って見なければ得られないようです。
●自転車について
自転車は化石燃料も使わないし、健康にもいいし、精神的にもいいですし、最近流行のようですし、さまざまな可能性を秘めていてロマンある夢の乗り物です。自分の力だけで人力でシベリアを完全に横断した人間もかつていないかもしれません。
●行動のスタイル
軽量速攻のアルパインスタイル。その行動によって何かの目的を達成することよりも、その行動そのものに価値を見出すことに意義があると考えています。完全走破の定義とは、一ミリのインチキもなく、エスコートの車などもなく、すべて自分の力だけで達成することを意味します。金にモノを言わせずに自己資金で成し遂げます。はっきり言って今回の旅は目的地にたどり着ける可能性は低いと思われ、行けるかどうかわかりません。だからこそチャレンジする価値があるというものです。できるとわかっている事をやっても仕方がないというものです。困難なルートをより厳しい季節に行くことによって、初めて自分の限界を知り、それを越えてステップアップできるというものです。
●冬道ジムニックについて
永久凍土に覆われる極東シベリアには正式な道がほとんどありません。夏場は永久凍土の表面が溶けて湿地帯になり、車両の走行は不可能になりますが、冬は河川や沼地も凍結し、その上をトラックで通過が可能となり、冬の間に物資を運ぶ冬道ができあがります。そういった冬道があれば自転車で自力走破による横断が可能であると考えられます。自転車は基本的に道がないと長距離の移動はむずかしく、今回のルートもスキーにソリを引いてゆくスタイルであれば可能でしょうが、自転車は冬道の存在にかかっています。具体的にどの凍結河川を通過できるか、資料もなく、インフラの進んでいないシベリアでは現地でないとほとんど分らない状況です。冬道は地図に載っているものもありますが、ほとんど信用できず、年によってルートが変わることもあります。現地に赴いて旅を続けながら情報を得て進むというスタイルになります。
●少数民族について
安東は以前に中国の南の果ての雲南省の大学に留学してましたが、それは当地が山岳少数民族の世界だからでした。シベリアにも日本人の遠い親戚であるモンゴロイドの少数民族がいくつも住んでいます。かつて氷河期には陸地であったベーリンジアことベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸にまで拡散したモンゴロイドたちの故郷です。日本人祖先の主流もシベリアから南下してきました。彼らの世界を垣間見ることができればと思います。
ヤクート人(シベリアで最大のアジア系民族) エビンキ人(シベリア全体に点在) ユカギリ族(最少数民族ユカギリコリマ河中流ネレムノイエ村) コリャーク族(トナカイ遊牧民) チュコチ族(トナカイ遊牧民) エスキモー族(ベーリング海峡近くに住みクジラ漁、セイウチ漁) アイヌ族(サハリン) オロチ族など(アムール川流域、オホーツク海沿岸)ヤマト民族(サハリンに残された日本人)
●動物について
トナカイ放牧、シベリアンタイガー、リンクス、オオカミ、シロクマ、セイウチに出会えるかもしれません。
●極東シベリアの山々
極東シベリア山岳地帯の最高峰は標高3417mのパベーダ(勝利という意味)峰ですが、今回のルートではその近くを通過することになります。パベーダが未踏峰でもありませんし登山する計画も今回はないですが、山を間近に観察し、北極圏にあるシベリアの山々の登山の可能性をさぐることはできるでしょう。
●恐竜のいる湖
世界最寒の地区オイミヤコンから100キロほど南に大きな湖があります。その湖には伝説の怪獣がいるといわれます。神秘的な湖には怪獣がいるという話は世界中にあります。ネス湖のネッシーや釧路湖のクッシーなどです。ここの湖の伝説ではそれは巨大な魚だといわれています。そこに古代の恐竜のような生き物が残っているというのは、はっきり言って眉唾物なのですが、巨大な魚であるとしても、それは意味深げな伝説といえるでしょう。かつて川口浩探検隊の影響を色濃く受けた安東としては、興味あるところです。
厳しい環境下で他の世界から隔離されてきたシベリアなら旧世代の怪獣あるいは巨大な魚が生き残っている可能性もあります。シーラカンスは3億5千年前の生物ですが、深海で生き延びていたという事実があります。またシベリアの真珠と呼ばれるバイカル湖に住む生物の70%は固有種であり、他所の生き物がバイカル湖に放たれても死滅するといわれています。バイカルが世界最古2500万年以上の歴史を持っていることは知られていますが、最後の氷河期が一万年前でマンモスが死滅したのもそのときであることを考えると、その歴史の古さからそこに古代に隔離されて独自に進化してきた生物が多いことも納得できることです。
この極東シベリアの謎の湖を訪れた日本人はまだいないかもしれません。そこに至ったからといって怪獣の正体を突き詰めるつもりはありませんがが、なにか新しい発見があるかもしれません。
9.協力協賛後援
●関係機関:
JACC日本国際自転車交流協会
●後援
八重洲出版 サイクルスポーツ誌
●テクニカルサポート、スポンサード
≪これまでに協力いただいた企業≫
ダイワ精工株式会社(自転車用品)、株式会社シマノ(自転車用品)、井上ゴム株式会社(自転車用品)、
株式会社カクイチ(自転車用品)、東京サンエス株式会社(自転車用品)、株式会社キャットアイ(自転車用品)、
株式会社モンベル(アウトドア用品)、株式会社アライテント(アウトドア用品)、
ICI石井スポーツ(アウトドア用品)、スーパーフィート(スポーツ用品)、
コダック株式会社(写真用品)、ペンタックス株式会社(写真用品)、株式会社ウェックトレック(通信機器)
広告共和国(協賛)、サンエースレンタカー(協賛)
9.エッセイ
「限界に挑む男」の諸性能について
(サイクルスポーツ誌2004年7月号より)
今回は自転車の動力源でもあり頭脳でもある「自転車野郎」について考察しよう。
今年の「植村直己冒険賞」をいただいたこともあり、不本意ながら「冒険家」と紹介されることが多くなった。本当は「チャリンコ野郎」とでも呼んでもらいたいところだ。「冒険家」というと強靭な肉体を持った山のような男、といったイメージがあるが、ボクの体格はきわめて普通である。体力はまああるとは思うけれど、それよりも重要なことがある。
第一にそれは「適応力」。いかなる自然や社会環境にも自分の資質をあわせられること。どんなものでも食え、寒さに耐え、どこでも寝れる。大自然の鼓動に耳を傾け、その奥地にあるものを感じ取ることができる能力。その地域の言葉を覚え、文化を理解し、村人と気持ちでコミュニケーションをとり、現地に溶け込もうとする姿勢。旅を楽しくするのもつまらなくするのも、すべては自分次第だ。その地域に期待して行くのはやめたほうがいい。
適応力とは、背伸びをしないことでもある。そのためには「自己の限界」を知っている必要がある。それは偽りの緊張感では知ることはできない。少しでも限界を越えて初めて、自分の可能性がどこにあるか知ることができる。限界を把握せずにムリな目標に驀進することは、無謀であり命にかかわる危険なことだ。みんなそれぞれ限界は違う。少しずつステップアップさせてゆくことにより、危険を冒すことなく「究極の領域」に達することができる。自分しか頼れるものはない状況下で「自己の限界」を知っていれば、あらゆる危険を予測しその前に対処できる人間になる。
最後に一番大切なものは「モチベーション」かな。自分のやりたいことをやることが、実は意外と難しいのだ。日常に埋もれてしまうか、現状に満足したとき、人は「夢」を忘れてしまうものらしい。その気持ちを維持するには、つねに行動者でなければならない。行きたい!という気持ちが爆発したとき、金も時間もなくてもなんとかなる。
自己の限界、モチベーション、適応力のバランス。それは勇気と想像力とちょっとした優しさ。自分で計画し、準備し、行動するとき初めて、それはボク自身の旅となる。自転車の旅は楽しい。それは自己の限界を越えられた者だけが、見ることを許される夢の世界なのかもしれない。